水色書架

自作の一般向け現代小説を書いています。長編短編をご用意しております。
はじめに
次の小説を構想中です。しばしお待ちを…。

TOPページではブログ仕様で、新着記事順ですが、
【作品リスト】から小説タイトルをお選び頂くと、順を追ってお読み頂けます。
1章ごと《続きを読む》から本文全文をお読み下さい。
【作品のご案内】 ← 作品のあらすじ等は、こちらをご参照下さい。
尚、当ブログ作品の無断使用・転載は禁止しております。

桜のモニュメント

住宅地と商店街にはさまれた広い大きな公園の一角には、桜の木々が植わっている。蕾が徐々に開花し、三分咲きから五分咲きになってきた。満開の見ごろまであと少しというところだ。その近辺を通る人達は誰もが一度は足を止めて見上げる。

桜の花はなぜか人々を魅了する。冬の寒さに耐え忍んでいた桜の樹が花を咲かせるその様は、さながら春の陽光を受けた歓喜の発露。人はそこに自らを重ね合わせて花を賛美するのだろう。

一人の男が公園の桜を遠くから立って眺めている。その眼差しは遠くぼんやりとしたものだった。何かの幻影を見ているかのごとくで、桜の近くを通り過ぎていく人々も目に入らないふうであった。

男はスーツの上にトレンチコートを着て、襟を立てている。日差しはあるが風がまだ冷たいのだ。コートのポケットに片手を突っ込んだまま突っ立っていた。長いことそうやっていたが、しばらくして男の乾いた唇から声が漏れた。

「まあちゃん。」

かすれた声でぽつりと言うと、男は一歩、また一歩と少しずつ桜の樹のほうへとゆっくり近づいて行った。そして、

「まあちゃん、来たよ。
 いるんだろ。」

男は初々しく咲き始めた桜の花々にむかって囁きかけた。時折、風が吹くせいで枝がゆっくりと揺れる。それが男の呼びかけに応えているふうにも見える。

「今朝、慰霊祭があった。
 俺は行かなかったよ。
 そこに君がいないことはわかってたからね。」

まだ開ききっていないほんのりと淡い紅の花は可憐な少女のようだ。

「あの事故から3年がたったなんて、
 まあちゃんがいなくなって3年もたつなんて、
 とても信じられないよ。」

男は遠い目をしたまま、淡々と語った。

3年前、とある場所で大事故が起きた。玉突き事故を起こしたトラックが踏切に入り込み、ちょうど折悪しく走ってきた列車にぶつかった。そして一部客車が脱線し横転したのだった。死傷者が十数人。男がまあちゃんと親しく呼びかける人も、その事故によってまだ22才の若さで亡くなった。

「今日の慰霊祭には、君の家族も行ってるはずだ。」

男は不意にうつむき、また見上げた。蕾も開きかけた花は男を見下ろしている。

「俺は行くのをやめた。君のお墓には行ってきたよ。
 その足で、思い立ってここへ来た。
 君が以前言ってたことを思い出したから。」

そう言って男は目を細めた。頭上では小鳥がさえずりながら飛び交っている。花の蜜を吸いに来たメジロか、雀だろう。桜とともに春の訪れを謳歌しているに違いない。

男は片手を一本の桜の樹の幹に当てた。ゴツゴツとした樹皮はひんやりとしている。目を閉じて男は口をつぐむと脳裏に在りし日のまあちゃんを思い浮かべた。ショートカットで小顔、生き生きとした瞳、ほっそりした首、日に焼けた腕、小柄な姿、豊かな表情、それらの何もかもがまだはっきりと蘇ってくる。そして、明るい声。

「ねえ、カズキ、ここの桜素敵でしょう。
 桜の名所は多いけど、この公園の桜だって負けてないわ。」

カズキという名のこの男は、まあちゃんに連れられてここに来たことがある。今それを思い出していた。まあちゃんは花見に行こうと誘い、カズキが人混みは苦手だと渋っていたのを無理やりこの公園に連れてこられたのだ。それが4年前のこと。

「ここなら人混みというほどじゃないでしょ。」

笑顔でまあちゃんが言ったものだ。確かに、桜を見るのか花見客の頭を見るのかわからない混雑とは違って、のどかなたたずまいだ。

「よくこんな場所知ってたね。」

男が尋ねると、

「前に住んでた家の近くなのよ。親が離婚したから。」

と、まあちゃんは一瞬淋しげになった。だが気を取り直すように、

「お気に入りの場所なの。」

と、今度は手を拡げて桜の樹を仰ぎ見た。それからまあちゃんは生き生きと桜の木々の間を縫って歩いた。風にひらひらと小さな花びらが舞う。それを手ですくい取ろうとまあちゃんは子どものようにはしゃぎ、カズキもつられて花びらをつかもうとした。他愛のない時間だった。しかし、今となってはもっとも貴重な時間だと男には思えてならない。

あのときのまあちゃんがあまりに無邪気だったので、男は意地悪してみたくなってこう言った。

「桜の樹の下には死体が埋まってるっていうよ。」

気味悪がるかと思ったが、まあちゃんは、はしゃいでいた動きを止めてカズキに振り返ると、軽く睨みつけた。

「それ、梶井基次郎の小説の出だしの文章でしょ? 知ってるわよ。」

「なんだ、びっくりしないのか。
 俺、最初聞いたときびびったんだけどな。」

「あまりの桜の美しさに不安になって、
 死体が埋まってなきゃ信じられないっていうような話だったかしら。」

まあちゃんは淡々とした口調だった。そして地面に落ちている花びらを拾って、ふっと息を吹いて飛ばした。ゆっくりと宙をゆらゆらしながら落ちていくのを目で追いかけた。

「桜の下に死体が埋まってるとしても私は驚かない。
 生と死の循環があるのは自然なことだわ。
 土に還るという言葉があるんだもの。
 あら。何も犯罪で殺された人の死体が埋まってるとは言ってないわよ。」

困惑顔の男の表情を顧みて、まあちゃんはけらけらと笑った。

「生と死って両極端な象徴だけど、
 でも、生も死もつながってるものだと私は思うわ。」

と、付け加えた。

「哲学的なんだな。
 実際、俺はその小説を読んだわけじゃないからよくわかんないけど。」

単純に驚かせようとしただけなのに、意外な彼女の反応が返ってきて、男はバツが悪くなった。まあちゃんは言い負かしてやったとでも思ったのか、皮肉交じりな笑顔を彼に向け、また桜の花びらを飛ばして無邪気に遊んだ。

ひとしきり花見を楽しんだ後、近くの喫茶店に入って二人は腰を落ち着けた。地元の人しか来ないような古い店で、テーブルもところどころ色褪せたり傷がついていたりしたが、かえってレトロな雰囲気があり、若い二人にとっては新鮮だった。紅茶を飲みながらまあちゃんが言った。

「さっきの話だけれど、桜の下はともかく、
 お墓には死体が、正確には骨だけど、埋められてるでしょう?
 それって、生の完結だと思うの。」

また難しい話になるのかと男は少々困り顔になったが、もとはといえば自分が言った冗談のせいなのだから、まあちゃんの話に付き合ってやろうと思い直した。

「だから・・・お墓からは何も生み出されてはこないわ。」

”お墓”と”生み出される”というこれもあまりにかけ離れた言葉に、男はただ面食らった。

「お墓が石じゃなく、樹だったらいいな。
 それも花の咲く樹よ。
 樹と同化して花を咲かせられるんだから、
 死は命の終わりじゃなくなるわ。
 そう思わない?」

問われて男は条件反射的に頷きそうになったが、梶井某の小説の台詞よりずっと生々しい気がした。カップのお茶を啜りながら、さりげなさを装って男は、

「花が咲くまではわかるけど、散ったら終わりじゃないか。」

と言った。

「散った後には若葉が出て、秋になって葉が落ちても、
 冬の寒さに耐えぬいてまた花を咲かせる。
 樹は黙って営みを続けるのよ。」

まあちゃんはますます顔を輝かせて食い下がり、滔々と語り続けた。

「お墓には亡くなった人の親族や知り合いの人が参りに来るけど、
 花の咲く樹はいろんな人の目にとまるでしょう?
 そして愛でてくれるわよね。
 花は人に感動も与えてくれる。
 石のお墓はなんだか寂しいわよね。」

男は遮って、

「だってそりゃあ亡くなった人を悼んでお参りするんだしさ、
 墓をきれいに掃除して、お線香あげて、
 厳かな気分になるんじゃないの?
 花もいいけど、花が枯れて散るその瞬間を見ると、
 淋しくなる遺族もいるんじゃないかな。 
 樹そのものが枯れることがあるのを考えると、
 石はずっと残るんだし。」

と、今度は真剣に異論を唱えてみた。だが、まあちゃんは少しも怯まない。彼女が年齢の割には死生観をしっかり持っていたことにカズキは驚いた。

「石はずっと残る・・・ね。
 それなのよ。石は遺族が亡くなった後も残るわ。
 代々、墓守を続ける子孫がいればいいけど、
 そうじゃない家だってあるでしょう?
 すると、墓は残ってもその存在を忘れられていくわ。
 雑草が生い茂って掃除をしてくれる人もいなくなる。」

まあちゃんの話を聞きながら男は、まあちゃんは人から忘れられるのが怖いのだろうかと気づいた。

まあちゃんは喫茶店の古い木枠のガラス窓に目を向けた。傾いた太陽の光がまぶしく差し込んでいる。春の光は温かく明るく、とても死を想像することなどできないというのに、まあちゃんはその日差しを見つめて何を思い浮かべていたのか。

「個人のお墓の他に、慰霊碑というのがあるわね。
 たくさんの方々が不幸な形でお亡くなりになって、
 毎年慰霊祭が行われるような。」

まあちゃんが再び口を開く。男は黙って耳を傾ける。喫茶店の中は二人の他に、新聞を読みふける初老の男と背広姿の営業マンらしい二人の中年の男が程よく離れた距離に座っている。

「ねえ。
 毎年、事件や事故で亡くなる人たちは
 どのくらいいるのかしらね。
 そしてどれくらい忘れられていくのかしらね。」

窓からまた視線をカズキに戻した。

「いちどきにたくさん人が亡くなると、
 あまりに悲惨で、どうしても記憶に残しておかなくてはと
 誰もが思うのね。だから碑を建てるんだわ。
 一方で理不尽な事件や事故で亡くなった人たちは、
 時が立てば何となく忘れ去られてしまう。」

そこでまあちゃんは少し間を開けてから、一言呟いた。

 「不公平ね。」

男はこれには憤りを感じた。つい最近も震災のニュースを聞いたばかりで、胸の痛い思いをしたせいでもある。慰霊祭を侮辱しているように聞こえたのだ。多くの犠牲者を悼んで何がいけないのだと、つい声を荒げた。店内にいる客たちにも聞こえただろう。一瞬視線が声の主に集中した。

まあちゃんは硬い表情になり、

「いけないなんて言ってない。」

と否定したが、カズキは、

「当り前さ。多くの人がいちどきに亡くなって、
 やり場のない怒りや悲しみを鎮めて、
 二度とそんな不幸が起きないようにと願うのは、
 何も遺族だけじゃないさ。
 ニュースを見た全国の人だって胸が痛むし、
 祈っているはずだ。
 墓や慰霊碑のような祈る場所は必要なんだよ。」

と畳みかけた。大きな声ではなかったにしろ、店内には響いたはずだ。客たちの耳にも入っていただろう。

「必要がないなんて一言も言ってない。
 祈ったり悼んだりする場所はあってもいいと思うわ。」

「あってもいいってんじゃなくて、必要なんだって。
 墓でも碑でも、死者と対話する場所なんだと俺は思ってるからね。」

「私はただ、いつまでも語られる死者と、
 忘れ去られる死者と、同じ死なのに不公平だなって。
 そう感じてるだけ。」

「事故や事件って毎日起こってて、
 死者も毎日出てる。
 そんなに覚えていられないよ。」

まあちゃんの瞳が目の前の男を捉え続けている。議論していくうちにカズキ自身、自分が放った言葉が矛盾をはらんでいることに気づいた。大きな事故や被害の甚大な天災によって亡くなった多くの死者は忘れてはならないものと位置づけられ、一方で日常化した事故死はその一人一人が記憶するに値しないと言ってるようなものだ。思わずカズキは大きくかぶりを振った。

「ああ、なんか俺の言ってること、ちょっと違うな。
 例えば交通事故なら交通事故として、
 その危険性を覚えてりゃいいんじゃないかな。
 大災害の被害は毎日起きるわけじゃないし、
 犠牲者が多く出たその日を胸に刻んでおこうってことだろ。」

それでもまあちゃんは納得がいかないという風に懐疑的に男を凝視し続けた。

「まあちゃんはじゃあ事故死した人の一人一人を覚えておけって言いたいの?
 新聞やテレビのニュースなんかで調べて死んだ人をいちいち記憶するわけ?」

視線に耐えかねてカズキは皮肉交じりに尋ねた。まあちゃんの顔が赤みを帯びていくのがいまだに男は忘れられなかった。なぜあんなきつい口調で言ってしまったのかと後になって悔やまれる。

まあちゃんは何か言いかけて、口をつぐんだ。それからゆっくりとカップを口に運び、冷めた紅茶を啜り、喉を鳴らして飲みこんだ。二人に流れる空気はさっきまでとは変わって、間に壁ができたように急に隔たってしまった。

営業マンの二人が席から立ち上がって、店を出て行った。初老の男性客は新聞を折りたたんで机に置き、財布から小銭を出しているところだった。

気まずい空気を変えようとカズキは特に思い入れもない話題を無理やり出したが、うんとか、そうねとか、気のない返事しか彼女からは返ってこなかった。

店を出て、再び公園の桜の前を通ったとき、まあちゃんは名残惜しむように満開の花に見入り、長いこと立ち止まっていた。男もまあちゃんの背後から眺めた。枝ぶりも隠してしまうほどの壮大な花の数だ。風に吹かれるたびに花びらが舞い散る。春に咲く花の種類はいろいろあるが、これほど幻想的な雰囲気に酔わせる花は桜しかない。

桜吹雪の中から声がした。

「私は、この一つ一つの花を愛でているの。」

まあちゃんが背伸びをして枝についている花一つ一つを覗き込み、愛おしむ。

「もし私が死んだら、きっと桜の花の一つになるわ。
 体が亡くなっても、魂は桜の樹へと向かって、
 花を咲かせるのよ。」

花に話しかけているのか、背後の男に聞こえるように話したのか、だがカズキは何も言わなかった。桜の樹の下に埋まっているものなど冗談でも言い出さなければよかったと後悔していたからだ。死体だの魂だの現実的でないもののために、気詰りになってしまった。

いつのまにか蕾をたくさんつけた5分咲きの桜の花の下で、男は回想に耽って目を閉じていた。不意に何かの気配を足元に感じて確認すると、一匹の黒猫がすり寄ってきていた。ずいぶん人慣れした猫だなと思い、ゆっくりしゃがんで猫の首あたりを撫でてやった。

「おまえはよほど人に可愛がられてるんだね。」

男は猫に話しかけた。黒猫は金色の瞳を細めて気持ちよさそうにしている。普通猫というものは見知らぬ人間には警戒心をもつものだ。黒猫は猫の種類の中でも人懐こいという話を耳にしたことはあるが、それにしても、一人ぽっちで花の下で陰気に佇んでいる男をまるで慰めにやってきたかのようだと感じ、癒される気がした。

「まあちゃんが亡くなって3年。
 ここに初めて二人で来たのはその前の年だった。
 俺は何も知らなかった。
 なぜまあちゃんが桜の花に強い思い入れがあったのかは。」

男は心の内にある在りし日のまあちゃんの姿を黒猫に投影しながら語った。

まあちゃんが生まれた頃は両親とともに、この辺りに住んでいた。父親とまあちゃんと飼っていた柴犬を連れてこの公園にもよく遊びにきたらしい。両親は決して仲が良いというわけではなかったそうだ。真面目で頑固だった夫を嫌って母親は離婚の道を選んだ。まあちゃんは母親について行かざるを得なかった。その何年か後に父親が仕事中に事故で亡くなったという。父方の祖父母から連絡があったが、すでに離婚したのだからと母親は葬儀には行かなかった。まあちゃんは後になって知らされた。

まあちゃんは父親が好きだった。しかし離婚のときまだ幼かった彼女は親の言うまま、母親とともに暮らすしかなかった。父の死を聞かされたとき、現実のことと受け止めることができなかった。一人で父方の祖父母を訪ね、父の墓をお参りに行っても、そこに父親はいない、ただ墓石があるだけだと思った。飼っていた柴犬は父のもとに残っていたが、病気で死んでしまったと祖父母から聞かされて、まあちゃんは喪失感でうちひしがれていた。亡くなった父と柴犬の面影をよく散歩に行った公園の桜の花に重ねて偲んでいたのであろう。

まあちゃんがトラックが追突した電車に乗っていたのは、桜を見るために公園に向かうためだったと彼女の母親から聞いた。よりによって桜が花開く時期にその大事故は起きてしまったのだ。

「いつか結婚を申し込むつもりだったんだ。
 まあちゃんが生きている間に打ち明ければよかった。」

男はゴロゴロと喉を鳴らしている黒猫を優しく撫でながら呟いた。

まあちゃんの葬儀の後、まあちゃんの妹はこっそりカズキに姉の日記を手渡した。カズキの名が幾度も記されている日記が男を姉の特別な存在だと証明していると言って、 形見として持っていてほしいと。そこにはカズキへのまあちゃんの思いが溢れていた。高校の同級生だった時代から何となく付き合い始めて亡くなるまで、ただ一度、気まずくなったあの日の記述を除いては。そして桜の花や離れ離れになった父と柴犬への思いも綴られていた。

父が母からも忘れられ、家族の中で愛されていたはずの柴犬のことも誰も思い出してはもらえない。まあちゃんの日記のこの一文がカズキの目をひいた。

”でもこのまま死を引きずってしまうくらいなら、
 どこかで昇華してしまうほうが、
 亡くなったものにも生き残ったものにも良いに違いない。
 記憶と忘却は二律背反。
 記憶し続けることで時間は止まり、
 忘れることが罪悪感を生み出すのなら、
 自然の営みに倣って、循環させればよいのだ。”

まあちゃんの哲学的な文章に苦笑しながら、カズキはあの日の桜の光景を思い浮かべた。満開の桜は風が吹かれるたびに花びらを散らせる。まあちゃんは花全体を見ているのじゃなく、一つ一つの花を愛でていると言った。花一つに父親の面影をまた柴犬の面影を映して、思い出しては忘れる作業をしていたのかもしれないと男は思った。

花が咲き、散っていく。しかしそれで終わりではない。樹の生の営みは花だけではないのだから。花の後は若葉を茂らせ、秋になると葉は赤く染まり、やがてそれも散っていく。そして冬の寒さをしのぎ、たくわえたエネルギーでまた多くの蕾をつけては花を咲かせるのである。生の循環。そうやって、まあちゃんの言う”記憶と忘却”が繰り返され、悲しみが時間とともに別の記憶へと昇華していくのだ。美しい思い出というものへ。

黒猫が男の手元からすり抜け、さよならをするように長いしっぽをゆらりゆらりと揺らせて、公園の外へと出て行った。カズキは立ち上がり、桜の樹を見上げた。通りすがりの人たちも満開への期待を寄せて見入っている。

「まあちゃん、きれいだね。
 君はそこにいるんだね。」

一つの開きかけのまだ紅の色が濃い桜の花に男は呟いた。まあちゃんの無邪気な笑顔がそこにあった。


人気ブログランキングへ ←クリックして頂くと励みになります♪

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2015/04/26 15:04 ] ≪黒猫お散歩通り≫ | TB(-) | CM(-)