水色書架

自作の一般向け現代小説を書いています。長編短編をご用意しております。
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スズカケノキの葉 (2)

「ミキの様子はどうだ?
 熱が出てないか?」

夕飯時にミドリの夫アキトシが予防接種の後の様子を尋ねた。小柄で細身のアキトシは、仕事で外回りすることが多いため、腕も顔も日に焼けている。

「この通り。
 元気よ。食欲ももりもり。」

と、フォークを不慣れに使いながら、スパゲティを引き寄せて口に入れ、頬をふくらませてモグモグと美味しそうに食べるミキを示して笑って答えた。

「そうか。そりゃよかった。
 うまいか、ミキ?」

アキトシは、口の周りについているケチャップをティッシュで拭ってやりながら覗き込んで言うと、ミキは、

「パパ。どーじょ。あーーん。」

と、スパゲティに添えられているプチトマトをフォークで刺して、パパの口に運んだ。目を細めて愛娘に食べさせてもらっているアキトシの様子をミドリは微笑ましく眺めていた。

幸せな家庭の団欒の最中を邪魔する電話の音が鳴った。あわててミドリが席を立ち、電話の受話器をとると、アサイからだった。にわかにミドリは暗い気分になった。電話での用件は、上の子が出演するドラマのシーンの放映日を告げる、いわば宣伝だった。ミドリは抑揚のない口調でお愛想を言いつつ、長話になりそうなのを早々に切り上げた。

「何の電話だった?」

ミキにおかずを食べさせていた夫が尋ねた。

「うん、大したことのない電話。」

ミドリが淡々と答えた。アキトシは何かを感じたのか、一瞬、じっと妻を見たが、

「ふうん。」

とだけ言って、またミキに見やってはとろけそうな表情で、スープを口に運んでやっていた。

その夜、ミキを寝かしつけた後、ミドリはアキトシに打ち明けた。

「さっきの電話ね、あれ、アサイさんっていうママ友の人からだったの。」

「うん。その人となんかあった?」

夫はやはり何かをミドリから感じ取っていたのだろう。

「いや、なんかさぁ、浮かない顔してたから。
 ミドリの表情ってわかりやすいんだよな。」

そう言ってアキトシが笑った。ミドリも照れて微笑んだ。

「アサイさんの上のお子さんが芸能界デビューなんだって。
 ドラマに子役として出番があるんだってさ。」

ミドリがそう話すと、芸能界という言葉にアキトシがなるほどと納得した様子を見せた。なぜなら、アキトシはミドリがタレントだったことももちろん知っているが、彼女が不当なバッシングを受けて傷ついていたことも知っているからだ。二人が出会ったのもこれがきっかけだった。

ミドリの顔だけ切り抜かれた写真を送りつけられたあの日、忘れもしない、外は冷たい雨が降っていた。ジャージ姿のままでミドリは財布と傘だけを持って部屋を飛び出し、拡げた傘で身を隠してマンションから遠ざかった。部屋に一人でいることが怖くて、このまま遠くのどこかへ雲隠れしたい衝動に駆られていたのだ。

だが、電車やバスに乗るにしても、傘を閉じて乗り込めば客に顔を見られてしまい、テレビで見たことのあるタレントの女の子だと気づかれる可能性が高まる。それに財布を開けてみれば小銭くらいしか入っていなかった。これでは大して遠くには行けない。しかたなく傘をさしたまま、ミドリはとぼとぼと歩いていた。行くあてのない心細さと、隠れなければならない惨めさに涙が自然とわいてくる。

歩き疲れ心も疲れ果て、とあるビルの庇(ひさし)の前で立ち止まり、傘をさしたまましゃがみこんだ。雨のせいか人通りはあまりない。ミドリはしゃがんだ膝に顔をうずめるようにして声を立てずに泣いた。

その前の路上には荷物の搬出をするためか車が停められていた。雨にずぶ濡れになりながら、商品を詰め込んだ段ボールをできるだけ濡らさないようにと急いで車からビルへと運び出していたアキトシは、傘の中で小さくなっている人物に気づいた。

街にはいろんな人がいる。ちょっと変わった人がいたって、特にお節介をやくほどでもない。だが、傘の中の人はどうやら震えている。雨に打ちつけられているせいではなく、傘が微妙に震えている。アキトシは荷物を運びながら気になってしかたがなかった。車に戻りかけた足を一歩後退させて、傘の人に向かってアキトシが声をかけた。

瞬間、傘の震えが止まった。そして、用心深そうに徐々に傘の陰からミドリが顔を見せた。

(うわ。女の子!
 泣いてるじゃんか!)

アキトシは動揺した。次に何を言おうか頭を巡らせた。早く家に帰れと言うのも冷たい気がする。どうしたのかと尋ねても訳を長々聞くには雨が強すぎる。どこかに他に屋根のある適当な場所もこの辺にはない。

(まいったな。)

うろたえつつも、咄嗟に口をついて出たのは、

「俺の車に乗る?
 こんなとこにいちゃ寒いぜ。」

という誘い掛けだった。後になってよくよく考えれば、ナンパや誘拐と誤解されても仕方ない。だが、傘の中の女の子は素直に応じた。断わられるだろうと思っていた彼はまたもやうろたえたが、とにかく車のドアを開けてやった。

それがミドリとアキトシの初めての出会いだった。

アキトシは出会った当初は、ミドリがタレントだということを知らなかった。メイクもせずジャージ姿の女の子がまさかテレビに出ている有名人とは思わなかったこともあるが、もともと彼はテレビを見る習慣がなかったせいもある。付き合うようになってしばらくして、ミドリから打ち明けられて、

「あ、そういや、うちの会社の商品のCMに出てた!」

と改めて気づいたほど無関心だった。ミドリにとって彼のこの無関心さが心安かった。

アキトシは優しい。いつから付き合い始めたのかも実際にはよくわからないほど自然に接するようになり、ミドリへの気遣いも細やかだった。タレント事務所との契約が切れ、芸能界からきっぱりと離れた後、二人は同棲生活を送り、世間がタレントだったミドリをすっかり忘れた頃に籍を入れた。

めくるめく華やかな世界から一転、平凡な生き方を選んだミドリだったが、この平凡さのほうが新鮮で、つつましい暮らしの中で幸福を噛みしめた。

ミキが生まれて近くの公園に遊びに行くようになってから、先に公園をよく利用していたママ友の一人、アサイと知り合った。アサイのことはママ友集団のリーダー的存在のようにミドリの目には映っていたが、女たちの集団というのは子どもの頃のクラスメートの付き合いと大して変わりがないことがだんだんわかってきた。いわゆる取り巻きのようにしていた母親たちも、個別に話してみると、アサイの押し付けがましさや鼻につく言動を非難していた。ところがそれにうっかり同調すると、後でどこからかアサイの耳に入り、結果的にママ友集団から無視されるようになる。そのため、ミドリはそこそこうまく集団に合わせながらも距離をとるように用心していた。

ある日のことだった。かつて付き合いのあったママ友のカトウの家に遊びに行ったことがあった。カトウは子どもが私立幼稚園に入園してからはアサイたちと疎遠になったという話だったが、

「アサイさんには気をつけてね。
 あの人、怖いわよ。」

とミドリに忠告した。今まで誰にも話さなかったがと前置きして語るところによれば、アサイの上の子どもと同じ幼稚園を受験し、カトウの子どもは合格したが、アサイのほうは落ちた。それを境に、奇妙な郵便物が届くようになったというのである。

「これ、見てくれる?」

カトウが差し出した淡いピンクの封筒に入った中身を取り出して見て、ミドリは愕然とした。公園で大勢のママ友や子どもたち同志で撮ったスナップ写真が、一部切り取られている。カトウとその子の顔だけが切り取られているのである。

「差出人の名前は書いてないけど、
 状況を考えたら、アサイさんしかいないわよ。
 だからね、はっきりアサイさんに言ってやったの。
 そしたらねぇ、とぼけて、
 『知らないわ、酷いことする人がいるのね。』ですって。
 尚も食い下がったら、証拠を出せだの、名誉棄損だの言われたわ。
 でも、いいの。それからピタリと手紙は来なくなったし、
 次また送って来られたら、被害届出そうと思うの。」

カトウが毅然と言った。

ミドリは卑怯な嫌がらせに対するカトウのきっぱりした態度に尊敬の念すら感じつつ、一方で激しく動揺させるものが手元の郵便物にあった。封筒の宛名に書かれた文字だ。昔、タレント時代に嫌がらせの手紙をもらった文字と筆跡が酷似している。もしや同一人物なのではと、胸の動悸がおさまらなかった。青ざめたミドリが、

「この文字・・・、アサイさんって、
 こんな字を書くの?」

と、カトウに丸文字について尋ねると、筆跡をわざと変えているのだと断言して返ってきた。

「その封筒に見覚えがあったの。
 淡いピンクの封筒、ファンシーショップで買ってたのを見かけたのよ。
 私に見られてたのに、アサイさんもうっかりしたものね。」

そう言ってカトウはふんと鼻を鳴らして笑った。アサイの本来の筆跡ではないにしろ、少なくともミドリのところに昔送ってきた嫌がらせの手紙の字とそっくりなことと、写真から顔だけ切り取る手口が同じということが重要だった。

「見た目じゃわからないわね。
 親切めいたところがあるけど、
 アサイさんって、結局、人脈を作ってるだけなのよ。
 情報収集したいのね。
 そのくせ、嫉妬深いんだわ。
 あなたも気を付けなさいよ。」

カトウは何度もミドリに注意した。

そのことがあって以来、ミドリはアサイに対しても、アサイと親密度の高い取り巻きに対しても、極力、本音の話はしないようになり、聞き役に徹していた。とはいえ、アサイの本性を知ってしまった今となっては、とてもまともに顔を合わせられない。

(ほんとうにアサイさんが写真から顔を切り取って
 送りつけてきた本人なのだろうか。)

ミドリにはまだ信じられない思いもあった。年齢はそう変わらないのだ。つまり、10代の頃からいい大人になってまで、いまだ陰湿な手口で他人を貶めようとしてきたのだろうか。傍目にはアサイは社交的で明るく、押しの強いリーダー的な性格に見えるが、内にはどろどろとした腹黒い粘着性を隠し持っていると考えると、反吐が出るほど気味が悪かった。




    
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ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2014/04/26 08:30 ] ≪黒猫お散歩通り≫ | TB(-) | CM(-)