水色書架

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勾鱗奇譚 (30)

泉をぐるりと取り巻く木々から、鳥たちのさえずりが聞こえてくる。日差しは眩しく、緑の葉にも反射してそこここできらきらと輝いている。目の前には透き通った水が広がっていて、漂う空気すらも清々しい。ミノリは地べたに座ったまま大きく伸びをして深呼吸した。その傍らには、ソウシが横たわっている。

ソウシが倒れてからさして時間はたっていない。せいぜい10分程度だ。彼が突然倒れ、様子を見ててくれと言ったまま意識を失っていったとき、初めこそミノリは慌てた。しかし、寝息を立てて穏やかな顔で倒れているのを見ているうちに、無駄な心配ではないかと思い始めた。

揺り起こそうと試みたが、息を乱すこともなく、苦しそうでもないソウシの顔を見ると、

「これって、どう見ても、
 寝てるよね。」

という具合に、不安より呆れるほうに変化したのだ。

「疲れ切って眠くなっただけなんじゃないの。」

と、ブツブツ口の中で文句を言いつつ、ソウシの頬を叩いてみたり、つねってみたりした。何の反応もない。深い睡眠に陥っているという風情だ。

淡いピンク地に黒猫がプリントされたTシャツとデニムにスニーカーという、カジュアルな服装のミノリは、ソウシの横に両膝を立てて座って空を見上げた。空は真っ青で、たまに小さな白い雲が浮かんでは漂っていくようなのどかな景色だ。なのに、訳のわからないことを言ったまま倒れているソウシのほうが変だとミノリは考えていた。

「あんたさぁ、あたしのことを
 守るって言ってなかったっけ?」

と、彼の背中を指先でつついてみたが、やはり寝息を立てているだけで微動だにしない。

「そろそろあの熊みたいな親父さんが
 あたしたちのいないことに気づいて、
 烈火のごとく怒ってやって来るんだろうなぁ。
 どのみち叱られるんだったら、
 おたおたしてもしょうがないか。」

夏の日の光は昨夜の肝試しのときの暗闇とはあまりに対照的で、なんの恐怖もミノリには感じなかったし、寧ろ、人っ気がなくて静かで明るく、空気もきれいな場所にいて心地良かった。ソウシを無理に起こそうと努力するのはやめにして、せっかく景色のいい、誰も邪魔されない場所にいるのだから、ミノリ自身ものんびりしようと決めた。元来、くよくよ悩む性質でもないのだった。

ミノリは気まぐれに草を一本引き抜くと、すぼめた唇に当ててふーっと息を吹きかけた。草笛を吹こうとしたのだが、音が鳴らない。他の草を引き抜き試してみたが、無様な音になるだけだ。

ふと草を持つ自分の右手に目をやった。この前の柔道の試合のとき、この手で、対戦相手を投げ飛ばそうとして逆に技を返され、関節技に持ち込まれた苦い記憶がよみがえる。勝てる相手と油断した自分が甘かったのだと悔しさも忘れられなかった。それだけじゃなく、関節技にもっていかれる前にかわせるはずだったのに、思うように体が動かせなかった。一瞬の動きの遅れが勝敗を分ける。

「鍛え方が足りなかったのかなぁ。」

試合前の強化合宿のときから、調子が出なかった。技を繰り出すタイミングが裏目へと出てしまい、体がそれにうまく対応できていないと自覚することがたびたびあった。指導者にも怒鳴られ、発破をかけられ、懸命にやってきたのだが、焦れば焦るほど動きが重くなった。

「やっぱり実力の限界なのかな。」

静かな森では鳥たちのさえずりが意外によく聞こえて、呼び合い、掛け合っているのか、交互に鳴き声がしてくる。おしゃべりする女の子たちのようだと思った。

ゼミ合宿は楽しかった。柔道のことを束の間忘れて、ただのゼミの女の子として友人たちとはしゃぎ合った。肝試しだって本当は行きたかったわけじゃないが、仲間たちと一緒に刺激的なことにも参加したかったのだ。柔道とは別の学生生活というものを味わいたかったためだ。スランプに陥ると柔道を続けていることに疑問が生じ、迷いが出てくる。やめようかと考えていたのも事実である。

「逃げ・・・かな。」

手に持っていた草をはらりと落とし、頬杖をついて泉の水面に目をやった。すると、何か動きのあるものが視野に入った気がした。風がないため水面は鏡のように平らかだが、部分的に波打っている。目を凝らすと魚がしなやかに泳いでいるのがわかった。

「ふうん。わりと大きい魚みたい。
 なんていう名の魚なんだろ。
 ナマズじゃあないよね。
 ここの主かな。」

それは鱗が銀色に光っていたが、素早く水草の中に隠れて全体は見えなくなった。泉の水の透明度が高いため水底まで見通せる。深さがどのくらいあるのかよくわからない。ミノリは水辺に近づいて、手をつけてみた。

「ああ、気持ちいい。」

思わず口走った。もしソウシがミノリを見ていたら気づいただろう。彼女にまとわりついていた邪気の全くない小さな霊体が、彼女から離れて吸い寄せられるように水の上を浮遊して消えていくのを。だが、ミノリ自身は気づいていない。

しばらく水の中で手だけを泳がせて、子どものように水遊びを楽しんでいたミノリだったが、いつまでたってもソウシが起きてくる気配もないし、髭の男もまだやって来ない。相変わらず鳥たちだけが空中でお喋りに花を咲かせている。平和なひとときにミノリすらも眠りに誘われそうになるため、立ち上がって、周辺を散策することにした。

ミノリが一歩一歩足を進めるたびに、生い茂った草の中から虫が逃げ出したり、カエルが跳ねたりと小さな生き物を発見し、童心に帰って観察を楽しんだ。

「何、これ。」

と呟いて草地から拾ったのは、枯草が干からびたような軽くて長いものだった。

「蛇の抜け殻!」

辺りに響くほど大きな声だったが、そこに嫌悪の色はなく、それどころかミノリは目を輝かせている。

「うわぁ、初めて見た。
 蛇ってこんなふうに脱皮してるのねぇ。」

大事そうに手の上に載せて、しげしげと眺めながら感嘆の声を上げた。曲がりくねっているが、そっと伸ばしてみると50センチはあるだろうか、目玉の形やガサガサした鱗の型も残っていてやや茶色っぽいが透き通っている。

「これを財布に入れておくと
 お金が貯まるらしいけど、
 財布に入れるにはちょっとグロいか。」

そう独り言を言いながら、くすくすと笑った。

「金運はともかく、なんかいいことあるかも。」

抜け殻を持ったまま、またソウシの近くに戻ってきた。

「ほんとにもう、いいかげん、起きなさいよ。
 蛇の抜け殻見つけたよ。」

誰かに珍しいものをひけびらかしたくて心躍る気分のミノリが、ソウシの体をポンポンと叩いたり、目尻を下げさせたり唇の端を持ち上げたりしてみた。そこで初めて、ううんとソウシが唸った。やっと目が覚めるかと期待したが、ソウシが眉をしかめて苦しそうにし始め、ミノリは血相を変えて慌てた。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/03/09 18:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)