水色書架

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勾鱗奇譚 (29)

夜空には砂を撒き散らしたように無数の星が瞬いて、晴天の夜だった。にもかかわらず、ヤエの眼差しは鋭く睨みをきかせていた。イオエもヤエの視線の先を追った。

「そうか、今宵は暗月の夜であったか。」

「暗月。」

ヤエが呟いた言葉をイオエも復唱した。よくよく見ればイオエの目にも衣を拡げたような大きな影が泉の上空を覆っているのがわかった。禍々しい気配も漂っている。

「ヤエ様、あれはいったい・・・」

「そなたにも見えますか。
 あれは執着と怨念の悪しき魂の集まり。」

「暗月と関わりがあるのでしょうか。」

「常にもいるのだけれど、
 月の出ぬ夜は魔の勢いが増すせいでしょう。」

泉の傍に潜めたまま二人は空を見上げていた。イオエはヤエにしがみついて震えている。やっと妖しの物から逃れたというのに、またもや異様な光景に出くわして、生きた心地がしない。

「この泉の周囲には結界を張ってある。
 ここにいれば大丈夫です。」

ヤエが安心させるように言った。そういえばヤエは鈴を振って泉の周囲の6つの場所で舞っていたのを思い出し、イオエはあれが結界を施す術だったのかと気づいて尋ねた。泉を穢されぬように、大蛇を除けるためと、神を呼び寄せるための結界だとヤエは答えた。

「ここには邪なものは決して立ち入れぬ。」

そう断言する言葉に強い意志がほとばしっていた。イオエは尋ねた。

「あれを浄めることはできぬのですか。」

「救われることを望まぬ魂たちでね、
 あれが水神の荒御霊を穢しているのです。
 たやすくはいかぬであろうな。」

「ならば、これからもずっと・・・。」

イオエは不安そうに言いかけてから口を閉ざした。人の命は永遠ではない。水神の荒御霊を浄め、鎮めてきたヤエがいつかいなくなってしまったらどうなるのかと、空恐ろしい気がしたのだ。

この少女の中に幽体として入り込んでいるソウシは、二人の会話を聞きながら、ミズチがただの魔物ではないと断言していたヤエの言葉の意味がやっとわかった。荒御霊はそもそも勇猛な資質をあらわし、時として荒々しく暴れるという面をもつ。それが邪な穢れにまみれると、禍津霊(まがつひ)という災いをもたらすだけの荒御霊になってしまうのだと、祖父が昔、幼かったソウシに話してくれたことがあったのを思い出した。

 救われたくない魂・・・つまり、
 執着と恨みのこもった魂がこの世からなくらない限り、
 ミズチは現れ続けるということか。
 だから、現代にまでいるのか。

天を仰いでいたヤエが、ふと立ち上がり、泉に手を差し入れた。水を汲み、手や顔を洗った。それから横倒しに置いておいた弓を立てて上に突き上げると、空から何かを巻き取るように弓を動かしたが、今度は突き上げていた弓を水面に向けた。イオエは何かの儀式なのかと固唾をのんで見守っていた。水面にはわずかに何か白っぽいものが漂ったかと思うとふっと消えた。

「迷っていた邪気のない魂だけを呼び寄せたのです。」

ヤエがイオエに問われる前に答えた。

「穢れてはいないが、ゆくべきところがわからず、
 この辺りで遊んでいた魂です。」

それは優しい声音だった。そのときまた泉の中にいた魚が跳ねた。ヤエはしばらくじっと暗い水面を眺めていたが、目を閉じて両手を合わせて祈り始めた。どこか緊張感が伝わってくるその姿に、イオエは身じろぎもできなかった。長い沈黙があった

「イオエ」

突然、ヤエが口を開いた。

「夜明けが来るまで、
 鳥が鳴き始めるころまで、
 決してここを離れてはいけないよ。」

振り返ったヤエが少々厳しい声音でイオエに告げた。驚いたイオエが何か言いたそうにしたが、

「これを持っていらっしゃい。」

と、いつもヤエが杖代わりにしていた古い大弓を差し出した。

「これはね、私がまだそなたと同じ年の頃、
 この村に来るまでに戦場跡で拾ったものだが、
 長いこと、それこそ私が一時、目が見えなかったときも、
 これを杖にして浄めの修行にともに携えてきた。
 今は梓弓として魔除けの弦を張ってあるから、
 そなたを魔から守ってくれるでしょう。」

身の丈に余るほどの大弓をイオエは反射的に受け取った。が、弓を任されるとはどういうことか、勘の良いイオエにはすぐにヤエの次の行動が予測できた。

「いやです。ヤエ様。
 ミズチのいる沼へ行かれるつもりなのでしょう?
 お一人で危のうございます。」

少女の的を得た言葉に、ヤエは苦笑しつつも、

「たった今、神のお告げがあったのです。
 ミズチを・・・荒御霊を鎮めるようにと。」

と答え、

「いいですね。
 ここから一歩たりとも動いてはなりませぬ。
 あっという間に魑魅魍魎の餌食になってしまうから。」

と、重ねて言い含めると、身を翻して闇の奥へと向かった。イオエは言いつけを守る約束をした後だけに背くわけにはいかなかったが、暗くて先も見えないはずだと何とか止めようとして叫んだ。

「目が見えぬ頃から、
 気配を読み取りながら歩くのに慣れている。
 大丈夫。」

と言い残し、草を踏み分け、すっかり闇の向こうに姿を消した。

幽体のまま少女の中にいるソウシは自分がヤエについていきたかった。だが、イオエを操るほどの力はない。また、イオエから離れることもできなかった。龍のレンと同体であったときも、ソウシ自らがレンから離れられたわけではないのだ。幽体のままで何ができるのかもわからない。

ヤエがミズチと対峙することになるのか、一体どうやって浄めるというのか、いずれにしろヤエに勝算があるとは思えなかった。つまり、現代にもミズチが存在することを思うに、完全に浄めきることはできなかったはずだ。彼女が危険だと直感し、ソウシは落ち着かなかった。

水面ではまた魚が跳ねている。姿ははっきりと見定められないが、ときどき魚の鱗が星のわずかな光に反射して、一瞬きらりと輝く。イオエは弓を手にただじっと縮こまって、それを見つめた。追いかけていきたいのを懸命にこらえる、精一杯のヤエへの忠誠のつもりであろう。唇はきりりと結ばれていた。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/03/06 18:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)