水色書架

自作の一般向け現代小説を書いています。長編短編をご用意しております。
はじめに
次の小説を構想中です。しばしお待ちを…。

TOPページではブログ仕様で、新着記事順ですが、
【作品リスト】から小説タイトルをお選び頂くと、順を追ってお読み頂けます。
1章ごと《続きを読む》から本文全文をお読み下さい。
【作品のご案内】 ← 作品のあらすじ等は、こちらをご参照下さい。
尚、当ブログ作品の無断使用・転載は禁止しております。

勾鱗奇譚 (28)

しんと静まり、草や枝葉が風になびく音が聞こえるだけで、もはや優しい声も姿もなくなっていた。そこで初めてイオエは道に迷ったとわかった。とっぷりと日は暮れ、このような山奥にやってくる人などいるはずもない。ヤエももう山を下りている頃である。少女は絶望的な気持ちとともに、言いつけを守らなかった自らを責めた。

ふとイオエは木の根元の平らかな草地にしゃがみこみ、身を潜めた。丸い霞の玉が浮いているのを見つけたためだ。一つ、二つ、数を増やして漂っている。蛍の光より淡く、明滅するわけでもない。こわごわ眺めていると、

「そなたは誰じゃ。」

と呼ばわる声を聞いた。さっきイオエを導いた優しげな女の声だった。

「かようなところに一人で、
 淋しかろうに。」

ヤエでないことがわかっている今、状況から考えても妖しの物に違いないとイオエは警戒して黙ってその場にいた。

「安心おし。
 怖い目には合うまいよ。」

声はしだいに近づいている。隠れていてもイオエのいる場所がわかるらしい。やはり物の怪の類いかとますます身を固くして縮こまっていたが、

「名は何と申す?」

と問いかけてきた。

「名を申せばそなたを無事に家に帰してあげよう。」

まだ幼く、孤独の恐怖と心細さに、家に帰すという言葉がイオエの心を揺り動かした。

「家に・・・帰る?」

「家には心配して待つ人がおろう。
 そなたも早く安心させたいのではないか?」

声音をいっそう優しくして妖しの物がイオエをなだめた。ヤエや中年の女が今頃はイオエがいないことに気づいてどれほど心配しているかと想像するだに、申し訳なく、悲しくなった。

「さぁ、名をお言い。
 さすれば帰してやろう。」

諭されるうちに、帰りたい、ヤエの傍にいたいという思いで心がいっぱいになり、イオエは涙をいくつもこぼした。不意に背後からガサガサと音立てて何者かが近づいてくる気配がした。得体の知れないものへの恐怖の増幅がイオエの後押しをした。

「さぁ、そなたの名は。」

焦れて問うてくる妖しの物に、名を答えようと口を開きかけたまさしくその瞬間、

びぃぃん
びぃぃん

と、しなるような音が鳴り響いた。その音は森の中でこだまし、四方八方から反響が返り、霞の玉ははじけて消えていった。

「名を教えてはなりませぬ。」

凛として叱咤するその声の主こそ、イオエが最も頼りにしているヤエであった。ヤエはいつも杖の代わりにしている古い大弓を手に、弓弦を引いて音を鳴らし続けながら、怯えている少女の傍に寄ってきた。 同時にイオエもヤエにしがみついた。

「よいな。
 決して名を問われて答えてはなりませぬ。」

弦を弾く手は止めず、ヤエは厳しい声でイオエに念を押した。

びぃぃん
びぃぃん

「邪魔立てするとは憎らしや。」

先ほどの優しげな女の妖しが、恨みがましい叫びを発しやがて消えていった。森の中に漂っていた霞の玉はなく、弓弦の残響も薄れていく頃、イオエは初めて安堵の息をつくことができた。ヤエはただ黙って弓を立て直し、少女を片手で庇いながら暗闇の中を歩いた。闇の中でどうして動けるのかと不思議に感じながら、イオエも寄り添った。叱られるのを覚悟して、ヤエの顔を窺うこともできずうつむいていたが、

「怖ろしかったであろうな。」

と、予想に反して労わりの言葉をかけられた。

「怒っておいでではないのですか。」

恐る恐るイオエが顔をあげた。闇の中では表情を読み取ることもできないが、イオエを庇うヤエの手から慈しみを感じた。少女の問いには答えず、ただ心配した、見つかってよかったと繰り返した。

イオエはヤエが大蛇の物の怪に噛まれていたのを目撃したと素直に白状し、なぜ蛇に喰われようとしていたのか、妖しの物に名を教えていたらどうなっていたのかなど、思いつく疑問を矢継ぎ早に尋ねた。

「物の怪に名を尋ねられて教えるということは、
 その物の手に落ちるということです。
 憑りつかれ、魂を徐々に奪われるのです。」

淡々とした口調だったが、イオエにはそのもの静かな語り口がかえって震えるほど怖かった。

「ヤエ様は、蛇の物の怪に噛まれても平気なのですか。」

怯えながら少女が尋ねると、ヤエはまた弓弦を引いて音を鳴らして響かせ、ふっと苦笑を漏らすと、

「我が身は神霊とともにありますから。」

と答えた。

「大蛇の物の怪を退治することはできぬのですか。」

イオエが質問したときちょうど林の枝葉が途切れ、泉のある空間に抜けた。空には無数の星々が瞬いている。ヤエは顔を上げて空を仰ぎ見てから、

「あれは、ミズチは、ただの魔物とは違います。」

と一言返し、今度はイオエを振り返った。少女はまだたくさん聞きたいことがあると言わんばかりに、興味津々で眼を大きく開いていた。ヤエは泉を一面に眺められる場所に腰を下ろして少女を横に座らせ、

「よい機会だからそなたにも教えておきましょう。」

と話し始めた。

「魂には、
 荒御霊(あらみたま)と和御霊(にぎみたま)という
 二つの性質が備わっている。
 そなたも目にしたあの大蛇は、
 神社にお祀りしている水神さまの荒御霊の一つでね。
 人の怒りや憎しみ、悲しみの念を呑み込んで大きくなったのだよ。
 荒御霊が穢れると害を為す。
 あの姿は常人では見えぬものなのだが、
 イオエには見えるのね。」

少女は頷いて、ヤエが次に何を語るかと心待ちにした。

「荒御霊は魂の一部。
 退治して消滅するものでなない。
 私は浄めによって荒御霊にお鎮まりいただくよう、
 この身を差し出しているのです。」

「修験者や阿闍梨様にお願いすることはできぬのですか。」

「執念深い蛇の性質は女子を好むのでな。
 ここを私以外、女人禁制と戒めているのもそのため。」

イオエは一生懸命、頭の中で理解しようと努め、何か他に手立てはないものかと考え、一度は唇を噛みしめたが、勇気を奮い起こしてヤエに向かって申し出た。

「では、もし・・・、
 もしヤエ様の代わりに私が身を差し出したら
 どうなるのでしょう?」

思い切ったことを尋ねてくる少女にヤエは一瞬驚き戸惑ったが、首を振って、

「無垢なる子どもや普通の娘では
 穢れに染められてしまうのです。
 憑かれて正しく生きる力を奪われます。
 そなたには無理じゃ。
 さきほどの妖しの物にもかどわかされかけたのだもの。」

と答えた。それを何とか打ち消したいと必死に訴えて、ヤエのようになりたいとまで言い張るイオエに、いとおしいものを感じつつも、ヤエは何度も首を振って、

「私でなければ務まらぬのです。」

と穏やかに諭し、そっと胸元から鱗の勾玉を取り出して握りしめた。その姿に決意とも信念ともいえる堅い意志を感じ、誰がどう言おうとも変わらないのだと諦めるよりほかなかった。

「もっと強い心を持っていれば、
 ヤエ様のお手伝いができたのに。」

と少女がぽつりとこぼした。するとヤエは、

「イオエ、私はそなたに物の怪に関わらずにすむことを願っています。
 そなたにはいつか殿御と睦み、子をなして、
 正しい心で暮らしてほしいと。
 恨むことなく、世をすねることなく、まっすぐな心で。
 それこそが強さなのですよ。」

と、まだ小さな少女の手をとり、握りしめて切に言った。

「孤独は辛いものじゃ。
 そうであろう?」
 
しみじみそう言われて、ついさっき山奥でたった一人でさまよっていた不安を思い返した。不安であったがゆえに、妖しの物にそそのかされかけたのだ。そして、イオエは初めて心配をかけたことを謝った。少女の手を撫でながら、決して二度と言いつけを破ってはならないと言い置いた。その上でヤエは、

「でも、そなたのおかげで、
 ミズチの出所がわかった。
 それには礼を申しましょう。」

と付け加えた。イオエがきょとんとした顔でヤエを眺めた。

「そなたが妖しに名を問われていたあの場所、
 淀んだ匂いが辺りに漂っていた。
 そなたは怖ろしゅうて気づかなかったかもしれぬが、
 近くに水が淀んでぬかるんだ沼地があるはず。
 そこが浮かばれぬ魂の溜まり場となり、
 ミズチが穢れを帯びているのであろう。
 あそこさえ浄めれば・・・。」

それに対して自分も手伝いたいとイオエが健気に申し出たが、ヤエはそれを許さなかった。

そのとき、まるで何かを知らせるかのように、泉の表面に魚が跳ねた。一度ならず何度も。跳ねる水音にハッとヤエは空を見上げた。


 人気ブログランキングへ ←クリックして頂くと励みになります♪ 

※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/03/03 18:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)