水色書架

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勾鱗奇譚 (26)

緑の葉の匂いが満ちる山の空気、それに混じる柔らかい土の匂い、清らかな水の匂いに身を委ねたとき、ソウシはふわふわと浮いている気分を味わった。周囲のすべてのものが霞に覆われて薄らいでゆく。遠くではまた声が聞こえる。だがミノリの声ではない。

 誰だろう。
 女の声・・・。

一人ではなく複数の女の声が聞こえてきた。

「今日はヤエ様はお山にゆかれないのですか。」

こう言ったのは少女のような若い娘だ。

「月の障りがあってね、数日は行けないのですよ。」

こう答えたのは中年の女だった。

ソウシはよく見ようと集中した。すると、ぼやけていた周囲がはっきり縁どられ、女たちの顔も見分けることができるようになった。灯心に火をともし、板間に着物と袴を身に着けた二人の女が座して、藁を束ねて縄を作っている。少女がまた問いかけた。

「ヤエ様は怖ろしゅうないのでしょうか。
 お山にたったお一人でゆかれて、
 物の怪に会うやもしれませぬのに。」

「あのお方は神様に守られておいでになるからね。
 私らとは違うのだよ。」

中年の女が笑って返事をした。少女は興味津々で目をきらきらさせると、藁を束ねる手元を止めて、

「水神様を鎮めたというお話はまことなのですか。
 どうやったらヤエ様のように強うなれるのですか。」

と、立て続けに尋ねた。中年の女は半ばあきれたように少女を見て、

「おやおや、ヤエ様のようになりたいとはね。
 願ってなれるものかどうかはわからぬけれど、
 そうだねぇ、イオエはヤエ様の手元で育ったのだし、
 おまえには話しておいてもよいかもしれぬ。」

と、縄を編む手は止めずに語り始めた。この少女の名はイオエと言うらしい。ソウシも自分の体もなくただ浮遊している状態のまま、中年の女の話に耳を傾けた。

話はヤエが人柱になった頃のことに及んだ。

「ヤエ様が水神様の御供におなり遊ばしたのは、
 当時の御領主様のご命でもあってね、
 水の害から村を守るためという大義とは別に、
 よそから来たヤエ様を疎んじてのことだったのさ。
 橋のお柱として差し出すにはよそ者が都合がよかったのだろうさ。
 慈悲深かったお父君が生きておられりゃ、
 そんなことをお許しにはならなかったろうに。」

中年の女は憎々しげに吐き捨てた。

「だけれども、ヤエ様の浄めのお力が荒御霊をお鎮めなさり、
 村にお戻りになって以来、神のお声を聞いて、
 橋や水路の大がかりな工事をご指南されたの。
 今はおまえも知ってのとおり、
 川が氾濫することもなく、平和な村になったのだよ。」

中年の女は撚った縄を一つ仕上げるごとに、背後に積み上げていって、また新たに縄を編み始めた。

ソウシはヤエが龍と別れて泉のほとりに取り残されたときのことを知りたくて、少女イオエの傍に移った。すると、彼はいつのまにかイオエに入り込んだ。イオエの目を通して中年の女を見つめ、イオエの耳を通して話を聞き、そして、イオエの口からはソウシの問いたかったことが問われた。

「ヤエ様はどうやって水神様をお鎮めできたのでしょうか。
 人身御供になったということは、
 死ぬかもしれなかったということでしょう?
 それでも生きてお戻りになられたのでしょう?」

イオエはこの中年の女にはよほど心を許しているらしく、無邪気に尋ねた。

「これこれ、滅多な事を口にするでないよ。」

と、中年の女がたしなめはしたものの、この女もイオエに親しみを感じるのか真剣に怒っているというのではなかった。

「そうさねぇ、実のところ、私も不思議だったのよ。
 あの日・・・、柱の儀の執り行われた夜は、
 それは怖ろしく山が荒れてねぇ、
 大嵐になったのさ。
 山の神と水神様のお怒りかと誰もが祈らずにおれなかった。
 翌朝は嘘のように静かになってね、
 山から白衣を血だらけになすったヤエ様が下りていらしたのさ。
 村の衆の驚きといったらなかったね。私もね。
 そしてまた不思議なことに・・・。」

女は縄を撚りつつ、少しばかりイオエに顔を近づけて囁いた。

「ご両親を亡くされてからお目が見えなくなっていたのに、
 見えるようになっていたのよ。
 その代わり、首から胸元にかけては怖ろしい傷跡が残っていたけどね。
 
 お山で何事があったのかは、ヤエ様はいまだに固く口を閉ざして、
 お話にはならないけれども、荒御霊を調伏なすったのは違いない。
 
 だけどね、ここだけの話だよ、イオエ。
 決してよそに漏らしてはいけないよ。

 ヤエ様を御供にするよう命じた当時の御領主様が、
 ほどなく、大病を患って呆気なくお亡くなりになったのさ。
 村の衆は秘かに、水神様の祟りではないかと噂したものよ。
 なぜならねぇ、柱の儀に関わった者たちもろくな目に合わなかったからね。」

いっそう声を潜めて中年の女が囁いた。イオエは怖ろしくなったのか、身震いをして、完全に縄を編む藁から手を放していた。灯心の灯影が壁にゆらゆらと踊っているのが不気味に思えるほどである。
 
「それでヤエ様はなぜにほぼ毎日、お山にゆかれるのですか。」

イオエが恐る恐る問うた。

「あのお山を女人禁制とお決めになったのはヤエ様でしょう?
 なのに、女子のヤエ様お一人出向かれまする。
 私は心配です。」

重ねて問いかけてくるので、中年の女は顔を上げてイオエをじっと見つめた。

「ヤエ様は女子であって女子ではないのです。
 神のお声をお聞きにゆかれるのですよ。

 ねぇ、言っておくけれど、イオエや、
 決してヤエ様の後をついていこうと思ってはならないよ。
 おまえは昔から無茶をするだけに、
 お言いつけを守っていられるか不安になるわ。」

と言い置き、眉に皺を寄せて、ほうっと大きなため息を一つつくと、また藁を撚って縄編みの作業を続けた。イオエも口をつぐんで、膝の上にのせていた藁の束を撚り始めた。

「ヤエ様はあの通り、嫁ぐこともなくお一人でいらせられるから、
 水害で親を失った子たちをお引き取りになって、
 ことのほか赤ん坊だったイオエを可愛がって、手をおかけになって。
 おまえの名もヤエ様がお授けになったのだよ。
 ここから子どもたちは皆巣立って行った。」

今度は中年の女は懐かしそうな優しい声音で話した。

「それもこれも、水神様の祟りで亡くなられたご長男に代わって、
 次男の今の御領主様が、父君と同じく慈悲深い方で、
 ヤエ様に肩入れして、住まいを与えてくださったおかげだ。
 私もその頃にヤエ様にお仕えするようになったのよ。」

そう語る中年の女の話からすると、この地ではヤエが生きている間に領主が3人、次々と代替わりしたのがはっきりとわかった。

「ヤエ様はお嫁さんになりたいと思ったことはないのでしょうか。」

イオエは少女らしく、自分自身の内なる願いと重ねて口に出して尋ねた。

「さぁてね、
 殿御にお仕えしたいと願うは女子なら誰しも一度はあること。
 私もそれとなく伺ったことはあるのじゃが、
 微笑んで、神にお仕えする身だと仰せになるばかりでねぇ。」

急にそわそわと何か言い躊躇った。親しい間柄で隠しているのも辛いと言わんばかりに、とうとうイオエに内緒だと何度も念を押してから打ち明けたのには、今の御領主がヤエを見初めて屋敷に来ないかと誘ったことがあるという。

「もっとも正妻がおいでになるし、側女にと望まれてね、
 ご執心のご様子だったけれども、
 ヤエ様は頑なにお断りになったのだよ。
 側女であってもお幸せになれる機会であったというに、
 もったいないと思えたものさ。」

まるで語り部の女こそが側女に望まれて嫁ぎたいと願っているかのように、興奮気味に話した。

ソウシはイオエの中にいながら、所詮、女の井戸端会議かとうんざりしてきた。とにかくヤエが無事に村に戻り、村での存在感を増しているのがわかったことだし、ヤエは見当たらない、もうここから離れようと思った。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/02/25 11:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)