水色書架

自作の一般向け現代小説を書いています。長編短編をご用意しております。
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勾鱗奇譚 (15)

大蛇が鎌首を伸ばして今にも迫ってこようというとき、レンが動くより先に何かが鎌首を押しとどめていることに気づいた。大蛇のほうでも見えぬ何かに阻まれて怯んだ。

「何じゃ。」

鎌首が左右に揺らされる。

「何がわしの邪魔をするのか。」

大蛇は胴体を引き寄せ、とぐろを巻いて体勢を整え直して、再び鎌首をもたげ、かっと口を開いて押しとどめる何かに噛みつこうとした。が、虚しく空を切るばかりだった。

レンはもしやと思い、ミズチから腕の中にいる娘へと振り返った。ヤエは血まみれの胸元から翡翠の勾玉を握って祈っていた。

「神のお姿が・・・そこに。」

ヤエが喉に張り付けられた鱗の振動によってレンに伝えた。ヤエが示す方向を見てもレンには見えなかった。龍の目でもっても見えぬ存在がいるのかと訝ったが、確かにいたのだ。実際のところ、神ではなかった。背後霊化していたソウシが大蛇を押しとどめていたのだった。

ソウシは自身の体がないにも関わらず、大蛇が襲ってきたときに二人を庇おうと両手を前に突き出したのだ。通り抜けてしまうかもしれないと絶望的な気持ちでいながら、そうせずにはいられなかったからだが、それがどういうわけか功を奏したのだ。

ヤエにはなぜソウシが見えるのか。いや、彼女は目に障害があってレンもミズチも見えてはいない。気配でわかるだけなのだ。

 俺のことを霊視しているのか。

ソウシは心ならずも霊視してしまう自身をヤエに重ねた。ミズチと呼ばれる大蛇の物の怪を押さえ込む力はどこから来るのか、あの娘の勾玉のせいかもしれないと直感した。ヤエの祈りが勾玉を通して、同時代にいるはずのない異端者のソウシに力を与えているのかもしれなかった。

シャーシャーと先の割れた舌をのぞかせた大きな口はひっきりなしに襲ってくるが、ソウシによって妨害されるうちにミズチの動きが鈍くなってきているのが分かった。そして徐々に後退している。

「ええい、忌々しい。」

大蛇の体から霞の玉のようなものが剥がれては消えてゆき、一回り小さくなった。穢れが穢れを呼んで巨大化していたミズチが浄められていたのである。

レンは髪を引き抜き、ミズチに向かって吹きつけたが、鱗が剥がれて傷ついているせいか、それともヤエを傷つけてしまったせいか、いつもの効き目は弱かった。

ヤエはもうぐったりして胸の前で合わせていた片方の手が落ちた。その拍子に白衣の袂から枯れた野菊の花の髪飾りがこぼれ、雨に濡れた。

「ヤエ、しっかりいたせ。
 逝くな。逝ってはならぬぞ。」

レンが懸命に呼びかけるが、反応がない。その傍でミズチは、娘をよこせとまだ唸り続けている。ソウシは目に見えぬ姿で立ちはだかっていたが、どうにも状況を変えることまではできない。ただ娘をいたずらに弱らせていくだけなのかと虚しい気持ちのまま、ミズチの侵入を防ぎ続けていた。

龍の男は決意した。ミズチが言ったように、罠にかかったとはいえ人を手にかけてしまうことによって龍は龍でなくなるのだ。

「ヤエ、俺の名を今一度呼んでくれぬか。」

意識も遠のきかけている娘に乞うた。そしてまだもう片方の手で握っている勾玉の上に彼の手を重ねて、娘が答えるのを待った。

「ヤエ、頼む、俺の名を呼んでくれ。」

煩悶するように娘をわずかに揺さぶって懇願した。雨飛礫のかかる瞼をうっすらと開けたヤエが、かすかに、

「レン様。」

と、龍の名を口にしたとき、レンは己れの首元から何かを素早く剥ぎ取って、娘の胸元に貼り付けた。それは大きな団扇の形をした鱗だった。ヤエの喉の傷に当てた鱗とは大きさが違うだけでなく、よく見れば一枚の鱗に、さらに小さな鱗が幾重にも重なっている。

「すまぬ、ヤエ。
 そなたの祈願を俺が破ってしまった。
 命がけの願であったのに。
 だが、俺はそなたに命を落としてほしくはない。」

ごうごうと激しい雨音とミズチの胴体と尻尾をくねらせる騒がしい音も無視して、レンは弱っていく娘に語り続けた。

「この鱗がそなたを救うだろう。
 首に生えるこの鱗は、俺にとっては命と同じ。
 蘇りのための鱗なのだ。

 これを失えば俺はこの世から消えることになる。
 ミズチにとってはさぞかし大喜びであろうが。

 蘇りの鱗をそなたに譲る。
 俺とそなたは名を取り交わして契りを結んだ。
 そなたが継承者だ。
 ミズチはそなたに一切手出しができぬ。」

力を込めてそこまで言い切ると、急にレンは膝を落として娘を抱いたまま、泥土を跳ねて地面に倒れこんだ。

「生きてくれ、ヤエ。
 この泉を穢れから守ってほしい。」

レンの表情は真っ青で血の気がない。娘を抱く腕をほどき、彼女を横たえると、レンの黒髪はやがて白っぽく変わり、人の変化が解け始めた。今度は龍のほうが苦しそうにしている。それでもミズチのほうを振り返って睨みつけると、翻って向かって行った。

立ちはだかっていたソウシを通り抜けて龍はミズチに体当たりし、長い二つの胴体は巻きつき合った。大蛇は龍の前脚に噛みつき、毒を嫌というほど注ぎ込んだため、みるみるうちに緑色の鱗がどす黒い色に変わっていく。龍は構わず大蛇と絡み合ったまま、渾身の力を込めて中空に浮き始めた。そして鱗がまた剥がれ落ちたが、龍が起こした風によって渦を巻くように二頭の胴体の後を追って行った。

ソウシは茫然と見送り、後をつけていきたかったが、娘をこのままにしてよいものかと横たわるヤエに視線をやった。ヤエは血だらけのままだったが、不思議なことに息遣いが規則的になり、傷が癒えているようにみえる。

 蘇りの鱗で命を繋ぎとめたのだろうか。

ソウシはゆっくりと歩み寄った。もっとも彼自身の肉体があるわけではないので、近づこうと意識した瞬間にはもうヤエの目の前に存在していた。娘は胸の勾玉を握りしめたまま祈っているようだ。ソウシを神と信じて願っているに違いない。

遠くから龍の咆哮が聞こえた。ミズチの高笑いのようなガラガラと発する音も聞こえる。そして静かになった。ただ止まない雨の激しく打ち付ける音のみである。あれは龍の断末魔だったのだろう。そのとき娘はゆっくりと目を開けて虚空を見つめたが、その瞳はうるんでいた。雨のせいではない。目尻から涙が幾筋も溢れてこぼれている。ソウシは胸が詰まりそうだった。

それはあまりに突然だった。ソウシは酷い悪寒を感じ、左足首がじんじんと痛み出したのだ。じかに覚える感覚を自覚した途端に、彼は自分が泉の淵で雨に打たれて倒れているのに気付いた。頭の芯は痺れて何も考えられない。夢か現か、どちらにしろあまりに多くの不可思議な、しかし切ない場面に立ち会ってきたからだ。ソウシは倒れたまま、今度は本当に気を失った。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/01/23 11:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)