水色書架

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勾鱗奇譚 (13)

ヤエは弓弦のない大弓で道を探りながら山道を登ってきた。泉の淵にまでもう一方の手で草をかき分けてたどり着くと、ずっとこれまでしてきたように、上に着ていた着物だけを脱いだ白衣姿になり泉の中に入っていった。

龍も人の姿にやつして叢の中で待っていた。満月になる今日はヤエの願掛けも満願の日。いつのまにかレンの体もすっかり復調して具合が良くなっていたのは、ヤエの浄めの力によるものだ。もっともヤエ自身、己れの浄めの力に気づいていないようだった。

晴れた空で雲一つない。夕日が傾き、一番輝かしい光を山々の嶺に投げかけたとき、ヤエの最後の禊の儀式が終わった。水から上がり、着物を再び着直したヤエの前に、レンが悠々と現れた。娘の目が見えずとも龍の男の気配に気づき、ぺこりと頭を下げた。

レンは近づくと、ヤエの艶々した黒髪のつむりに白い野菊を束にして編んだ髪飾りを挿してやった。ヤエがそっと触れて、花であることがわかると、頬を染めた。

「似合うておる。」

満足気にレンが笑って言った。

「そのようにしておれば普通の女子じゃな。
 いや、なかなかに美しい。」

そう言われてヤエはますます顔を赤くし、口元に微笑を浮かべたが、やがて悲しげな顔になった。

「どうした?
 浮かぬ顔だな。
 満願を果たしたのではないのか。」

ヤエの傍に膝を立てて座ったレンは気遣わしげに顔を覗き込んで問いかけた。暫しの間を開けてから、ヤエは言った。

「あなた様とお近づきになれて、一人ぼっちの私も、
 ひととき寂しさを忘れさせていただきました。
 ここに通ってくる励みにもなりました。
 レン様に、御礼を申さねばなりません。」

「俺もそなたのおかげで、
 ミズチの毒に侵されていたのを癒されたのだ。
 礼を言うのは俺の方だ。」

「ただ、もうあなた様とお会いすることはないかと思うと。」

と、娘はうつむいて唇を噛んだ。

「異なことを。
 そなたがここに来られぬというなら、
 俺がそなたに会いにゆく。」

レンはきっぱりと宣言した。しかし娘は首を振った。

「いいえ。もうお会いすることはかないません。
 その訳もどうかお聞きくださいますな。」

弱々しいながらも答える娘には、どこか決然と心に誓ったものがあるのは伝わって、レンは何も言えなかった。だが、深刻に受け止めてもいなかった。娘が何と言おうとも会いにいこうと思えば彼は何時でも会いにいくつもりでいたからだ。

夕闇が迫るとともに、空には満月が明るく浮き上がってきた。清浄なる月光は暗い森の根元にまで差し込み、月明かりに照らされる中、レンはヤエを背負って山を下った。物の怪の気配はごく小さなものだ。龍が相手では月夜に襲おうとするものもいないのだろう。

村の入り口に降り立つと、大がかりな橋架けの準備が着々と進んでいるらしく、夜っぴて材木を運んでいる村の男たちが遠くに見えた。かがり火が焚かれ、いつになく村は明るい。

目が見えないはずのヤエも、光の明るさは感じるせいか、龍の化身であるレンを人に見られてはいけないと気遣って、

「ここでおいとまいたします。
 レン様、どうぞお元気で。」

と、早々に別れを告げた。レンは、うむと一言返しただけで、弓の杖を操りながら帰っていくヤエの後姿を見送った。娘は離れた所で一度だけ顔を振り向かせたが、急ぎ足で遠のいて行った。

数日後、龍はヤエの様子を見に行こうと泉のある山から村まで下りてきた。何度も背に乗せてきた娘の気配を感じ取れる自信があったレンだったが、まったくヤエの気配を追えなかった。住まいを与えられていると言っていた村の神社の付近に来てみたが、そこにもいない。忽然と消えたかのように娘は見つからないのである。

レンは奇妙な胸騒ぎを覚えた。全身の感覚という感覚を研ぎ澄ませて中空を飛んでいると、大きな川に上半身裸の屈強な男たちが橋脚を立てる作業をしているのに出くわした。

「今日は水量が減ったというても
 この急な流れじゃ。
 皆、流されんように気をつけろ。」

頭目らしき大男が声を上げている。川に浸かっている男たちの腰には命綱が巻かれ、材木を運び、組み立てるのにそれぞれ忙しい。頭目は傍らで様子を見ている村人に、

「ところで例の準備はできておるのだろうな。」

と険しい声で尋ねた。村人はぺこぺこと頭を下げ、

「万全の準備をしてあります。
 今夜、儀式を執り行うとの御領主様からのお達しで。」

と、大男の顔色を窺いながら小声で言った。大男の頭目は腕組みをして頷いた。

そしてその夜になった。儀式というからには大勢の人が集まるかと思いきや、かえってひっそりと静まり返っている。屈強な男たちだけがかがり火を焚いた中、川べりの橋の土台になるところまで荷を運んでいた。木材ではない。どうやら供物らしい。米俵や酒樽、魚や穀物を重ねた三方などが運ばれていく中、注連縄がかけられた麻袋が戸板に乗せられてやってきた。

宮司が祝詞を読み上げ、川に酒がどっぷりと撒かれた。辺りにプンと酒の匂いが立ち上る。厳かそうな儀式だが取り囲んで手を合わせているのはわずかな人数の男だけだった。やがて宮司も男たちもかがり火を消し、松明だけを持ってそそくさとその場を離れていき、とうとう外には誰もいなくなった。

龍はずっと見守っていた。

「橋架けの祈願の儀式か。
 しかし、このような夜半に。」

やがて奥深い暗い山のほうから重いものを引き摺る音が近づいてきた。酒の匂いに紛れているが、明らかにこの生臭い匂いはミズチのものと龍にはわかった。

「わしのものじゃ。」

甲高いような、あるいは轟くような、男とも女ともわからない声があったかと思うと、ざんぶと川に浸かる音がした。黒い大きな塊が長く伸びて、川の流れとともに泳いで近づいてくる。明らかに捧げられた供物を目指している。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/01/17 11:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)