水色書架

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勾鱗奇譚 (11)

次の日、いつもと同じ刻限にヤエは泉にやってきた。そしていつもと同じように白衣一枚になると泉で禊をし、祈っていた。龍の男も叢に寝そべって様子を見ていたが、姿を見られる心配が無用になった分だけ傍近くにいた。禊が終わり、娘が着替え終わるのを見届けると、男は立ち上がって声をかけた。

「ヤエ。
 少し話してゆかぬか。」

多少の驚きでもって娘は顔を上げ、声で昨日おぶってくれた者だとわかり、礼を言いかけると、

「なに、礼には及ばぬさ。
 そなたには俺も助けてもらったのだからな。」

と男がそこそこに打ち切らせた。娘は奇妙な顔をした。

「大蛇のミズチから俺を救った。
 そうであろう?
 あのとき、そなたはどうやってミズチを遠ざけたのか、
 聞きたいと思うてな。」

男は泉のほとりの座りやすい位置に娘を導いた。

「ヤエ、そなたにはわかっておるのだろう。
 俺が人ではないことは。」

娘はこくりと首を動かして頷いた。男は正直に龍の化身だと明かし、レンと名乗った。それから二人は太陽が山の端にかかるまでのわずかな間、言葉を交わした。

ヤエはレンに大蛇を退散させた方法を問われて、ただの物の怪とは違う強大な気配を感じ、穢れを祓うために持っていた大弓の先を振るっただけだと話した。

「奴は今や穢れの塊だからな。」

ふふんと鼻で笑ってレンが呟いた。だが、ヤエは、

「ですが、ただの魔物ではありませぬ。」

と付け加えた。

「おお、確かに奴めも水神と遇されているがな。」

皮肉を込めて同意したレンは、娘を顧みた。改めて日の光の中で見ると、ヤエの凛とした横顔、きりりと結ばれた唇が芯の強さを示し、肩にかかる打ち垂れ髪と耳元の鬢が風にそよぐのがたおやかな風情を醸していた。

これまでヤエは泉での禊のために欠かさず通い詰めていたが、気候の良い日ばかりではない。山の天気は移ろいやすく、雨に見舞われることのほうが多かった。泉のそばを根城にしているレンは、風雨の激しい日にも一心に祈りを捧げ続けているヤエを見てきた。その姿は神懸かっているほど、侵しがたい空気を張りつめさせていた。

「そなたは何者なのだ。」

レンは真面目な声で問うた。

「私はただの盲いた娘でございます。」

ヤエが答えた。

「巫女ではないのか。
 巫(かんなぎ)の力を持つように見受けるのだが。」

その問いには娘は黙って答えなかった。その代り、脇においてあった弓弦のない大弓を立てて杖にすると立ち上がった。短くレンに別れを告げると、彼は、

「よい。送っていく。」

と、娘を背負った。昨夜と同じように彼は滑るように山道を走り出し、やがて龍の姿になって飛んだ。山の物の怪は、暗月の暮れほど多くもなく強くもなかったため、早々と村の入り口にたどり着いた。ミズチに出会わなかったのは幸いだったか、あるいはヤエの穢れ祓いを恐れておとなしくしているのかもしれない。

そんな日が2日、3日、7日と続いた。禊が済んだ後のほんのわずかな間でも、二人が接する機会を重ねるうちに、しだいにヤエは打ち解けて話すようになり、龍の男にも娘の事情がわかってきた。戦火を逃れて両親ともども生まれた故郷を捨て、この地域の領主にヤエの父が細工師としての腕を買われてお抱えになったこと、ヤエが9つになった年に起きた川の氾濫とともに疫病が大流行りして、それがもとで両親を亡くし、ヤエもそのときに視力を失くしたという。

「生まれつき目が見えぬわけではないのだな。」

「はい。身寄りもなく、このような身になりましても、
 御領主様には過分なほどお世話になっております。」

「領主は先年亡くなったと漏れ聞いているが。」

「今はご長男が跡目を継いで御領主に・・・。」

「ふうむ。で、そなたは領主の屋敷にいるのか。」

「いえ、村の神社の一角に住まいを与えられておりまして、
 寝起きし、食べるのに困らぬようにとご配慮を・・・。」

「神社・・・。ああ、水神を祀っているあの神社か。」

レンは小馬鹿にしたように呟いた。

微風が叢を優しく撫でていく好い日和の中、泉のほとりでレンは片膝を立て、その上に頬杖をついている。娘も男の傍でくつろぐようにして座っている。

夕暮れまでには時間がある。ヤエはレンが龍の化身とわかっていても、人の言葉で会話ができることや二人きりで親しむようになったことに、ほのかな喜びを感じ、それまで孤独の修行で山を訪れていたのとは少々異なり、心を浮き立たせ、以前より早くこの場所にやってくるようになっていた。レンのほうでも龍でいるより仮初めの人の姿が馴染んでいるかのようだった。

「それでそなたの願は何なのか、
 教えてくれまいか。
 俺に手助けできることがあれば・・・。」

しかしヤエはただ首を振るばかりで、それについては一切、一言も語ろうとしなかった。龍は特別な霊的存在であり、神にも近い。願いを聞き届けてもらうにはうってつけの機会だったにも関わらず、娘は口を閉ざしたのである。レンは誇りを傷つけられているような、不快な気分になった。

「なぜじゃ。」

「ご勘弁くださいませ。
 私の願掛けはまだ終わりではありませぬ。」

とヤエが言うのを、

「それはいつ終わるというのか。」

とやや荒らげた声でレンが尋ねた。

「月が満ちる日でございます。」

ヤエは決然と答えた。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/01/09 11:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)