水色書架

自作の一般向け現代小説を書いています。長編短編をご用意しております。
はじめに
次の小説を構想中です。しばしお待ちを…。

TOPページではブログ仕様で、新着記事順ですが、
【作品リスト】から小説タイトルをお選び頂くと、順を追ってお読み頂けます。
1章ごと《続きを読む》から本文全文をお読み下さい。
【作品のご案内】 ← 作品のあらすじ等は、こちらをご参照下さい。
尚、当ブログ作品の無断使用・転載は禁止しております。

勾鱗奇譚 (10)

すでに日は落ち、森は暗闇に完全に包まれた。不気味に唸る風の音に奇妙な音も紛れている。引き摺るような重い音だ。それに淀んだ沼の、生臭い匂いまでもが漂ってくる。

「無駄に命を落としたくなければ、
 さっさと立ち去るがいい。
 そなたにはまだ心残りもあろう。」

男は娘に言い放った。娘は一礼をして踵を返し、弓の先で足元を探りながら帰り道を辿り始めた。もともと目の見えない彼女にとって、昼も夜もさして変わりはないのだろう。男はその場で見送っていたが、辺りに立ち込める邪気が強まっていくのを危惧して、このまま放っておくことができなくなった。

「ミズチの奴が現れれば厄介だな。
 あやつにとって女子は好物。」

龍の男は素早く娘に追いつくと、

「そなたの名は何と申す?」

と、手早く尋ねた。人であろうと物の怪であろうと、素性の定かでないものに名を問われて答えるのは本来危険なことであった。にも関わらず娘は答えた。

「ヤエと申します。」

「では、ヤエ、
 俺の背におぶさる勇気はあるか?
 村まで送ってやろう。」

娘は再び警戒する様子で躊躇っていたが、最も恐れるべき存在が近づいていることを龍の男は勘付いており、一刻の猶予もならないと思った。

「どうする?
 迷っている暇はないが。」

促されてやっと娘は頷くと、杖にしていた大弓を脇に抱え、手さぐりでしゃがんだ男の背を探し当てて身を任せた。男は娘を背負って立ち上がり、

「しっかりつかまっておれ。
 ただし、俺の首まわりは決して触るなよ。」

と言うやいなや、風を切って走り出した。あまりの速さに娘は男の背に必死にしがみついた。男はいつしか龍の姿に戻り、しなやかに木立の間を縫って飛んでいた。その勢いに物の怪どもは弾かれ、龍のたてがみに触れたものは雲散霧消していく。

山の木々がざわざわと騒ぎ出すのは飛龍の起こす風のせいでもあるが、恐れていたものが傍近くに来ているせいでもあった。ひどい悪臭、藻が腐って淀んだ泥とまじりあった生臭い匂いだ。男の背にいる娘は気づいたらしく、身を固くして緊張しているのが彼にも伝わってくる。

「置いて行け。」

男とも女ともわからない、唸りのように低くもあり甲高くもある声が轟いた。と同時に、龍の前に大きな黒い塊がたちはだかった。

「ヤエ、俺の髪を手に巻きつけてでもつかまっておれ。」

龍の男はそう叫ぶと黒い塊を避けて飛び越えようと、急に高く跳ね上がった。娘は言われるがまま男の髪と思われるたてがみを手に巻きつけて、振り落とされそうになるのを堪えてただひたすらしがみついた。

黒い塊は逃すまいと伸び上がった。それは巨大な蛇の鎌首だった。塊になっていたのはとぐろを巻いていた影だったのだ。

「女を置いていけ。」

かっと開いた口は真っ赤で、ぬめぬめとして先の割れた長い舌が龍の正面でしなった。

「ミズチよ、邪魔だ。どけ。
 ぬしに置いていくものなどないわ。」

龍のほうも長い尾で大蛇の舌をはね返そうとした。大蛇はその尾に噛みつこうと大きな牙をむき、鎌首を動かした。大蛇の牙には毒があり、噛まれれば龍であっても深手を負う。体をくねらせて龍は避けた。娘は振り回されながらもしっかりと龍の毛にしがみついていたが、再び大蛇の鎌首が今度は娘を狙って迫ってきた。

龍はひやりと肝を冷やした。が、すんでのところでうまくかわしたと感じたとき、不意に大蛇が崩れ落ちるように倒れこむのが目に入った。予期せぬことだったが、この隙に龍は一気に山を下りた。雑魚の物の怪どもを追い散らしてようやく麓の村の入り口に降り立って、龍は人の姿に変化し、娘を背からゆっくりと降ろした。

恐怖で怯えているせいか、娘の体が震えている。しかし、気丈に礼の言葉を述べると立ち去ろうとした。

「しばし待て。」

龍の男が娘を引き止めた。男は娘をしげしげと眺め、

「俺の力だけではない。」

と呟いた。

娘を乗せている間、龍の背には何か小さな、だが清浄な気を放つものが当たっているのに気づいていた。

「そなた、胸に何かつけておるな。」

指摘されて娘は着物の内側から、撚った麻紐を通して首から提げていた緑色の石を取り出して男に見せた。

「翡翠の勾玉か。
 おそらくそれがそなたの守護をしていたのであろうな。」

「細工師をしていた父から譲り受けたものでございます。」

娘が応じて静かに答えた。

「明日も泉には来るつもりなのか。」

と龍の男は帰るそぶりをしながら最後に尋ねた。娘ははっきりと肯定の返事をし、頭を深々と下げると村の奥へと去っていった。

「あのような恐ろしい目にあいながらまた来るか。
 よほど満願の意志が強いと見える。」

龍の男は娘と別れた後も山には戻らず、人の姿のまま村の周囲を巡って歩いた。村は連なり合った山々に囲まれている。それぞれの山から合流した大きな川が村の中央を割るようにして横たわり、その両側に田んぼがあり、民家が点在していた。

夜間、誰一人外にはいない。夜のしじまに轟々と響く水量の多い川の傍の土地は荒れ果てていた。橋が壊れている箇所もある。

「川が決壊して橋を流し、田畑を流したか。」

龍の男には思い当たることがあった。

高い山々が連なるこの地域には、いずれも水神と崇められる龍と大蛇が棲んでおり、両者とも折り合いが悪く、互いの縄張りを主張して争うことがあった。そのたびに大雨をもたらし、近隣の村は洪水の被害にあう。この前、激しくミズチとぶつかり合ったときにこの一帯が豪雨となったのが、洪水被害の原因なのだろう。

「さすれば娘の願掛けは、雨と洪水の害への願というわけか。」

しかしヤエのことを不思議な娘だと龍の男は考えていた。物の怪をいとも簡単に退けてしまうのは修験者や高僧くらいで、あのようなうら若い女が相手にできるとは信じがたかった。

「物の怪ならずとも、獣に出くわせばひとたまりもなかろうに。」

それでも泉に通ってくるという娘の言葉に、龍の男は安心していたのも確かであり、心待ちにしているのであった。


 人気ブログランキングへ ←クリックして頂くと励みになります♪ 

※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/01/06 11:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)