水色書架

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勾鱗奇譚 (9)

年の頃、14,5才くらいであろうか、小娘が杖を頼りに覚束ない足取りで泉のほとりまでやってきた。草履を履いた白い足や丈の短い着物の裾はは土を跳ね上げて汚れている。杖にしているのは、戦場の跡から拾ってきたものであろう弦の切れた大弓だった。背の半分あたりまである豊かな黒髪をした娘の瞳は、朧で視線が定まっていない。目が見えないらしい。そのくせ杖を頼ってでも目的のところに来られるのだから、まったく視力を失っているわけでもないのだろう。娘はその場にかがむと杖代わりの大弓を丁寧に置き、両手を合わせて一心に祈り始めた。

娘との距離は離れているにも関わらず、男は叢の陰から見通して、様子を窺っていた。あの娘は半月以上毎日、険しい山道を登って、ほぼ同じ時刻にここまで通ってきている。

祈りを終えると娘は草履を脱いで裸足になり、帯を解いて着ている物を脱いだ。丁寧に畳むと草履の上にそれらを載せて、裸身に白衣を着ただけの娘は少しずつ泉の中に入っていき、身を沈めた。

男は、最初に娘の行動を見たときは入水して死ぬつもりかと訝ったのだがそうではなかった。禊(みそぎ)かあるいは水垢離(みずごり)のつもりなのだろう。こんこんと湧き出でる透明な水にずっと浸かったまま、娘は瞼を伏せて祈っていた。

男は娘に気づかれぬよう、もう少し泉に近づいた。すると、泉に映る男の姿にもう一つ別の姿が重なり、くっきりと本性を象った。おびただしい青い鱗に覆われ、ぎょろりと鋭い眼球、大きく裂けた口からはギザギザした歯、蔓草のように長く伸びた二本の髭、二本の枝のような角を持つ。この男の正体は龍であった。水面には、人の姿を大きく上回る龍の顔が映し出されていたのである。

水鏡の中の龍は心地よさそうに長い髭を宙にたゆたわせた。身を清めている彼女から穏やかな気が波紋のように寄せてくる。その気に触れると、ミズチとやり合ったときの傷口から毒気が抜けていくようで、龍は癒されていく気分に浸っていた。娘の禊が彼に不思議な力を与えることに気づいて以来、日参してくる娘をここで待ち伏せしては秘かに癒されてきたのだが、その甲斐があって復調しつつあった。

西から山々を朱に染めて日が落ちかかる頃、ようやく娘は顔を上げ、ゆっくりと注意深く水から上がった。濡れた白衣から丸みのあるしなやかな肌が透けて見える。手さぐりで畳んでいた着物を掴み、広げて羽織り、肌を晒すことなく白衣だけを脱いでから着付けた。そして、白衣に浸みた水を絞り、手早く丸めた後、杖にしている大弓を立てて持ち、泉に向き直って深々と一礼をすると元来た道を辿り始めた。

人間の男の姿に身をやつしている龍は、娘の後をそれとなく追うことにした。夕暮れは日の光が傾斜して影を長く伸ばす。山道は木々の重なった影のせいでもうすでに暗い。娘は器用に弓の杖で道を探り当てながら歩いていたが、不意に立ち止まり、大弓の先で何かを払うしぐさをした。

「来たな。奴等め。」

男は目を一瞬ギラリと光らせて、娘の周りを睨むようにして見つめた。龍である男の目には、娘に近づこうとする有象無象の物の怪が映っている。しかし、奇妙なことに、か弱い小娘一人を相手に物の怪どもはろくに手出しができないどころか、襲おうとしてはね返されているのである。

「ほう。これは面白い。
 これまであの娘がたった一人で通ってこれたのは
 魔を寄せずにいたためか。

 だが今宵は魔が多すぎる。いつまでもつかな。」

風が強くなってきた。日はもう山々の向こうに隠れかけている。闇に乗じて増えていく物の怪に邪魔されているせいか娘の歩みは遅くなった。見かねて男は一本の髪の毛を抜くと、ふっと吹きかけて飛ばした。すると、魔は弾けて飛び散った。娘は何かを感じ取ったのか、きょろきょろと辺りをうかがった。もっともその目は何も見えていないはずなのだが。

「何者がおりますのか?
 姿を現しなさいませ。」

華奢な体に似合わず、恐れることなく凛として娘が呼びかけた。静寂の中で響き渡る。

「敏感な小娘らしいな。」

男が呟いた。一層辺りは暗くなっていく。向かっているであろう村まではまだ相当の距離がある。男は思い切って娘の背後から声をかけた。

「娘さん、早く下山するがいい。
 ここでもたもたしていては
 生きて帰れぬぞ。」

その声は実際に人の言葉として娘に伝わった。驚いた娘は声のするほうに振り返り、警戒するふうに眉根を寄せて声の主を確かめようとした。

男は颯爽と娘の前まで進み出てきたが、やはり彼女の眼は見えていないらしく、その視点は遠くにあった。

「逢魔時(おうまがとき)に淋しい山道を出歩くなど
 正気の沙汰ではないな。
 ましてや今宵は暗月。月光の届かぬ夜じゃ。
 魑魅魍魎に食い殺されてしまうぞ。」

男が近づいても魔物のようにはね返されることはなく、娘からは泉で感じたときと同じ気が漂っているのを感じた。娘のほうでも男に禍々しさも殺気もないとわかり、

「ご忠告ありがとうございます。
 どなたか存じませぬが、
 高貴なお方なのでしょうか。
 私は目が見えませぬので失礼を申しました。」

と、丁寧に話した。言葉づかいから推して並みの娘ではないらしい。男は、

「なぜ俺を高貴な者だと思うのだ?
 山賊かもしれぬのに。
 そなたを襲うかもしれぬではないか。」

と、ぞっとするような低い声音にわざと変えて尋ねた。すると、娘は、

「私は盲いておりましても、
 仇なす者かどうか気配でわかりますゆえ。」

と答えた。

「では、仇なす者であったなら、
 そなたはどうやって逃れるのだ?
 目が見えていようといまいと、女一人、
 この暗闇の中で一体どうやって逃れる?」

重ねて男が尋ねた。その間も物の怪が近くに潜んでいて、隙あらば襲いかかろうとしているのだが、龍の男はさっきと同じように髪の毛を吹き飛ばして、魔をはねていた。

「惜しい命ではありませぬ。
 ここでそのような目にあうとすれば、
 それも定めというものでございましょう。」

娘は悲観することもなく、きっぱりと言い切った。若い娘の言うこととも思えないと男は暫し考え、

「なるほど。命を賭して通っているというのだな。
 察するに願掛けであろうが。」

と、独りごちた。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2013/01/03 11:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)