水色書架

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勾鱗奇譚 (8)

魔物の手から離れるため、よろめきながら前に進んでいたソウシは、ウエストポーチを探って懐中電灯を取り出した。土地勘もないのに闇雲に走って、いつまた崖っぷちから落ちるかもしれないのだ。ライトを点け、左足も全身の傷の痛みも忘れて、ただ前進した。

さっきまで聞こえていたかすかな水の流れる音がよりはっきりと聞こえてきた。道に沿って川が流れているのだろう。後ろは振り返らなかったが、背後に感じていた魔物の気配が薄れていくのを感じた。

 浄めの塩が少しでも効いたのだろうか。

だが、油断はできない。あれは霊体であって、どこに出没するかわからないとソウシは緊張しながら前に進んだ。上りの勾配がきつくなってきて息が切れ、ときにつまずいてよろけながらも、立ち止まることはできなかった。

やがて茂みが深くなり、道らしい道もなくなってきたが、草を踏み分けて入っていった。細々と道が途切れることなく続いているところを見ると、稀に人が通ることはあるのだろう。いったいどこまで逃げればいいのかと考えながら、体力も限界に近づいたとき、木立の開けた場所に出た。丈の高い草も生い茂っているが、今までの風景とは異なる空間だ。鬱蒼としていた木々がなくなっている分、頭上では天の川も星々も見渡せる。

ここには清浄な空気が溢れている。そして、清らかな水の匂いが濃くなった。息をはずませ、頭がくらくらしそうだったソウシが辛うじてライトを照らして確認してみると、そこには光を反射して水面がきらめく泉があった。怪しい気配は微塵もない。あの吐き気をもよおすような嫌な生臭さもなかった。土と草と水の匂いが彼を優しく包む。

ソウシはその場に膝から崩れ落ち、倒れこんだ。地べたにうつ伏したまま、はぁはぁと荒い息をしていた。今まで忘れていた体の痛みの感覚が一気に戻ってきた。横たわったままゆっくり膝を曲げ、激しく痛む左足に触れると熱を帯びてパンパンに腫れ上がっている。

無性にソウシは泉に触れたかった。水で足を冷やせば痛みも緩和するだろう。喉もカラカラに渇いている。衝動的にソウシは這うようにして泉に近づいた。左足はまるで棒のようで力を入れることすらできない。じわじわと近づくにつれ湿地になり、あと少しで手を伸ばせば水に触れることができると思った瞬間だった。ざぁっと強い風が付近の草をなぎ倒すように吹いた。

空に叢雲がかかり始め、星の瞬きを覆い隠して暗くなったように見えた。

 いや、あれは雲じゃない。
 影だ。

ソウシは直感した。昨日、彼を金縛りにさせた山の暗い影と同じものだ。 普通の人ならば見えない影である。

 やはりさっきの黒い塊の魔物と関係があるのだろうか。

しかしもう思考する力は彼にはなかった。体が痺れ、重くなっていく。眠ってはいけないという彼の意志とは裏腹に、瞼が自然と閉じ始め、朦朧としてきた。風が唸る音だけが耳に入ってくる。伸ばしかけていた腕が落ちて泉の水面に触れ、波紋が広がったが、ソウシはもう力尽きていた。




しゃん、りぃぃん、しゃん・・・
しゃん、りぃぃん、しゃん・・・

遠のく意識の中で金属の鈴のような音が鮮明に響いてきた。耳を突くような不快なものではなく、心地よかった。

しゃん、りぃぃん、しゃん・・・

長く余韻の残るその音色に、痺れた体がふわふわと浮いているような感覚になり、痛みも疼きもなく、寒さもわからなくなった。

 俺は死んだのか。

ついさっきまでの身の毛もよだつような気配は全くない。閉じた瞼の内側に明るさを感じてうっすら目を開けると、夜ではなかった。陽の光がある。ソウシは首をもたげ、周囲を見回すと、倒れたときと同じ泉の淵にいた。

 朝になったのか。

体を起こそうとして、ふと彼は自分の腕に目をやったとき、愕然とした。見慣れた自分の腕ではない。体のほうを見るとTシャツとチノクロスのパンツではなく、着物のような変わった衣装を身に着けている。水干と括り緒の袴であった。

負傷したはずの左足も何ともない。一体どうしたことかと混乱し、泉の水面に顔を映してみた。そこにはソウシの顔とは違った見知らぬ男の顔があった。

髪は肩にかかって垂れ下がるほど長く、日焼けしたような肌に、目尻のやや吊り上った大きな黒い目をしているが、端正な顔立ちでソウシと年が変わらないくらいの若い男だった。

 これは誰だ?

ソウシは手を頬に当ててみたが、水面に映った男も全く同時に頬に手をやっている。別のしぐさをしても同じことだった。

 これは俺なのか?
 だが、じゃあ、俺はいったい誰なんだ?

狐につままれたようで訳が分からないが、水面の背後に何か別のものが映っているのに気づいた。

 藻?
 いや違うぞ。
 鱗みたいな・・・。

泉を覗き込んで確かめようとしたそのときだった。急に額から後頭部に向けて貫くような痛みが走った。すると、ソウシ自身とは違う別の何かの思考が入り込んできた。

「まだ生え変わらぬな。
 まったくミズチの奴めの毒はしつこい。
 今しばらくは人のなりをして身を潜めねばなるまい。」

苦りきった調子の声がソウシの耳の奥で響いた。いや、この声の持ち主は実際に口を開いて言葉を発したのだ。体そのものがもうソウシ本人のものではない。別の人物だ。

 俺は、俺の体はどうなったんだ?

咄嗟にソウシが思いついたのは幽体離脱だったが、それならばなぜ別人格の内側にいるのかわからなかった。そもそも彼が入り込んでしまっているこの男は、人のなりをしていると言ったのだから、本性は人ではないのだ。

 生え変わる? 何が?
 ミズチって何だ。毒って。

だが、その先をソウシが考えることすら許さないかのように、だんだんとこの男の思考の隅に追いやられ、また、自分の思う通りに体も動かせず、この男の目を通して観察することしかできなくなっていった。

「まだ気分がすぐれぬなぁ。」

男が呟いた。泉に近い湿地の叢の中に寝転がったまま、ごろりと仰向けになり空を見上げた。

「あと少しで日が落ちる。
 今宵は月の出ぬ夜じゃ。
 魑魅魍魎たちが小躍りして行き交うであろうな。」

傾きかけた日は少しずつ赤く辺りを染め始めていた。さわさわと緩やかに風がそよぎ、草も木々の葉もたなびいている。

「そろそろあの娘もやってくる頃だ。」

男は目を閉じて耳を澄ませた。しばらくして、草をかき分けて泉に近づいてくる何者かの気配を感じ取った。獣の類いではなく、ゆっくりした二足歩行の足音だ。まちがいなく男が予想していた人物のものである。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/12/31 11:11 ] 『勾鱗奇譚』 | TB(-) | CM(-)