水色書架

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もの憂げな三日月 (86)

サトシが空港に降り立ち再び日本の土を踏んだのは風の強い日だった。上空を飛んでいる間も、機体がいつもより不安定だった。まるで彼の心もようを表しているかのように。

帰国したのは何カ月ぶりだろうかと頭で考え、異国の地で1年分は働いていたつもりでいたのに、まだ半年にもなっていないことに気づかされる。今回の帰国は予定外だった。社長である伯父が倒れたとの知らせが、社長秘書から海外にいるサトシにもたらされ、急いで帰ってきたのだ。現代は電子メールで即時知らされるのがありがたいといえばありがたい。

病状の詳しいことはわからないが、あれほど健康体そのものだった伯父が突然倒れたと聞けば、サトシの亡くなった父のように体のどこかに欠陥でも抱えていたのだろうかと心配になった。そして、伯父のワンマン経営だった会社の動きも気になる。副社長をはじめ、重役たちの何人かは伯父のやり方に不満を感じていたのだから、社長の容体によっては経営方針を変えようとする動きが出てくるに違いない。

今の会社を一代で築き上げた伯父は、今後、アジアでの事業展開を考えていた。だが、展望が見いだせない事業拡大はかえって不振につながると反対している者たちも多い。社長が倒れれば、サトシがコツコツと海外で進めてきた全てが水の泡に帰す。

もっとも、サトシ自身、今度の海外事業に関しては、手ごたえが薄いと感じている。すでに他国のライバル企業も綿密な計画を立てて参入してきていただけに、シェアを奪われつつあったのだ。本腰を入れなければ奪回するのが難しくなる。無駄に投資はできない。

伯父の意志をあくまで貫くのか、それとも、伯父の会社を守るために今は断念するのが賢明なのか、サトシも悩むところではあった。そんな折に社長が倒れたとなると、おのずと道の方向が変わっていくだろう。社長の秘蔵っ子としての彼の立場も危うかった。

不安と迷いが胸の中で同居したまま、サトシは空港からまっすぐ伯父がいる病院に向かった。このところ、商談と根回しに追われ、ろくに休養をとっていないサトシは地面を踏みしめている感覚も覚束なかった。今このときも、他の企業が動いている。事業所にいる同僚に任せてはいるが、油断ができない。タクシーに乗り込んでいる間も、神経は張りつめていく一方だった。

 頼む、伯父貴、死なないで下さいよ!
 今いなくなったら、俺一人では、
 あなたの会社のために何もできなくなる。

強引で傲慢な伯父ではあったが、経営の腕は確かだったし、厳しいながらも学ぶところは多かった。何より、引き取って大学までやってくれた恩がある。伯父の家で安らぎを感じたことはないにしろ、だ。

タクシーから飛び降りて、サトシは病院へ駆け込んだ。



ジムでの仕事から帰った後に、ゆっくりめの夕飯を済ませてからマナミは新聞を一枚一枚めくって読んでいた。社会面や政治面をざっと目を通す程度ではあったが、ふと小さな記事に目が釘付けになった。サトシが勤めている会社の社名が出ている。新しい社長の就任が報じられ、それに伴っての大幅な人事改革があるとのことだった。

マナミには会社経営がどういうものかはわからないが、穏やかならない気がした。サトシはどうしているだろうかと考えている矢先、ケータイにトウコから電話が入った。

「イケザキさんが帰ってきてるわ。」

彼女の開口一番はそれだった。マナミは、大して驚かなかった。わずかな文章しか載っていない新聞記事からでも、サトシの会社では大きな動きがあったことくらいわかる。サトシの伯父が社長を退任したのなら、彼も関わらざるを得ないのだから、急きょ帰国するのも当然と思えた。

「Da Mayamaで酔いつぶれてるそうよ。
 行ってあげたら。」

サトシとマナミの仲を妻から聞いて知っているマヤマが気を利かせて、トウコに連絡し、彼女はマナミにすぐに伝えてきたのだった。

「トウコ、一体、何が彼の会社であったの?」

「イケザキ社長が脳梗塞で倒れて、命はとりとめたけど、
 後遺症が残っている状態らしいの。
 会社の経営に直接関わっていくのは無理ね。
 そのための社長交代劇があったの。
 社長が変われば、方針が大きく転換されるでしょうね。」

それにしても代理で当座をしのぐこともなく、急な交代だと感じた。内部でこういう事態になったときの筋書がすでにできていたということなのだろうと語るトウコは、株を買うことがあるために業界に多少詳しいらしい。

とにかくマナミはトウコに礼を言って電話を切ると、急ぎ身支度をして、車に乗り込んだ。

Da Mayamaの扉を開けると、マヤマがマナミにいつもと変わりない挨拶をし、カウンターの一番隅を示した。トウコが酔いつぶれていると言っていたとおり、そこには椅子にだらしなく腰掛ける、うつむき加減のサトシがいた。傍に近寄るほどに、彼がやつれた風情になっているのがわかる。マナミが声をかけた。サトシはゆっくりと顔を上げたが、瞼が重そうだ。

「ああ、お元気でしたか。」

その声すらも呂律が回りきっていない。

「あなたも一杯いかがですか。」

と、すでに空になっているグラスを持った右手を挙げた。とても何カ月も離れていた恋する人への言葉とも思えなかったが、マナミはサトシの胸中を察して、

「ごめんなさい。今夜は飲めないんです。
 車で来てますから。」

と、サトシとマヤマの両方に聞こえるように伝えた。

「サトシさんも、もうこの辺で飲むのをお止めになったら?」

マナミはサトシを促して、彼の腕をとった。抗うでもなく、腕をとられたまま素直に立ち上がろうとしたものの、足がもつれて彼の体が揺れた。マナミが倒されそうになるのをマヤマが急いでカウンターを出て、サトシを支えるのを手伝った。そして、戸口の外へと彼を連れて行った。

「マヤマさん、すみません。
 私が彼をお送りします。」

とすまながると、マヤマは、

「お願いします。
 イケザキ様がこんなに酔われるのは珍しいことですが、
 体調もよくないかもしれませんね。」

と、心配そうにしながらも、マナミに委ねた。

バーから少し離れたところに車を停めていたため、なだめすかしてサトシをどうにか歩かせ、やっと車のバックシートに乗せた。

「どちらに泊まってらっしゃるの?」

サトシに問いかけたが、ろくに返事もできず、うとうととシートにもたれかかっている。仕方ないとばかりに、マナミは運転席に戻ると車を発進させ、彼女のマンションに連れて行くことにした。彼の顔色がいいとは言えないし、以前より痩せている。マヤマの言うように、体の具合が悪いのかもしれない。

車からサトシを降ろして、マナミの部屋に連れ込むのも一苦労だった。こんな無防備なサトシを見るのは初めてである。とにかくリビングのソファに座らせ落ち着かせたものの、彼はずり落ちるようにソファの上で横になって寝息を立て始めた。

「疲れているんだわ。」

マナミは水の入ったコップを手に持っていたが、テーブルの上に置いて、彼女自身もラグカーペットの上にじかにぺたんと座り、サトシの寝顔を見守った。頬がこけているが、あどけない少年のような寝顔だ。幼いときからどれほどの苦労を背負ってきたのかと考えるほどに胸が詰まり、愛しく思う気持ちもひとしおだった。いつしかマナミはテーブルにうつ伏したまま寝入っていった。



 サトシさん。

優しい、懐かしい声がサトシの耳にこだまする。瞼の裏に、継母の面影がよみがえり、それがマナミの姿に変わっていった。居心地のいい空気、柔らかい場所にいるのがだんだんと実感されたとき、サトシは不意に目が覚めた。自分がどこにいるのかさっぱりわからない。煌々と照らされた部屋で、正面の壁に掛かっている時計の針が真夜中の2時をまわっているのを確認した。横になったままゆっくりと首だけを動かすと、傍にマナミがうつ伏せに寝ているのが目に入り、あわてて飛び起きた。

これは現実なのだろうか、夢の続きを見ているのだろうかと、マナミをじっと見つめ、片手を伸ばした。彼女の髪が指先に触れる。夢ではないとサトシは気づいて焦った。

なぜここにいるのか覚えていない。頭の中を引っ掻き回すように記憶をたどると、伯父の病院と本社を往復し、夜になってDa Mayamaに向かったところまではどうにか思い出した。そういえば、眠くてしかたがないとき、誰かに支えられて歩いた気がする。労わる声をかけてもらったような気もする。あれがマナミだったのかとサトシは考えていた。

サトシが帰国して1週間以上はたっている。マナミにだけでなく、妹のアヤにも日本に戻ったことを知らせていなかった。伯父のいる病院に直接向かって主治医から容体を聞いたところ、伯父の意識は戻ったが、後遺症で半身不随と言語障害の可能性を示唆された。命は助かったと聞いて安堵したものの、面会した伯父の様子を毎日見舞っても、ほとんど話せない状態だった。1カ月後に吸収合併することになっている会社との調印までに社長が回復するとは思えない。

本社内では上を下への大騒ぎになり、緊急会議が開かれ、とりあえず現社長を会長職に据えて、新たな社長を決めたのだった。別の意味では、社内での思惑がスピード感を持って遂行されたということだ。創業者として伯父は会長になっても重きを置かれるだろうが、経営の在り方が変わっていくのは間違いない。

静かな部屋の中で、サトシは深いため息をついた。テーブルに置かれたままになっている水の入ったグラスを手に取り、一息で飲み干した。吸収合併と事業拡大、会社は大きな変革に面と向かっている。その中で、伯父の後ろ盾もなくサトシにどれだけのことができるかと考えると心許ない。果たして社内でサトシの存在はどの程度のものなのか。

睡眠不足と疲労から、まだ頭がくらくらしているサトシは空になったグラスをテーブルに置くと、頭を抱えてうずくまるようにソファに座っていた。

気配に気づいたのか、マナミも身じろぎして目を覚ました。サトシが起きているとわかり、声をかけた。憔悴しきった彼は、

「ここはマナミさんの部屋なんですね。
 あなたが僕をここへ?」

と弱々しく尋ねた。いつもの彼らしい覇気がないと感じながらも、マナミは頷くと、連れ帰ったときのことを簡単に話した。

「世話をかけてすみません。
 だけど、
 今のこんな僕をあなたには見られたくなかったな。」

と、彼が沈んだように呟くのをマナミは首を振って、

「私はそんなあなたを見たかったわ。」

と、答えた。奇妙な目つきでサトシが彼女を見た。

「あら、ごめんなさい。変な言い方ね。
 いつもの肩肘を張っているサトシさんじゃなくて、
 素顔のあなたを知りたかったと言う意味なんです。」

マナミがあわてて言い直した。

「男は、弱っている自分を好きな女性に見られるのは
 恥ずかしいものなんですよ。」

と、サトシは苦笑いしたが、互いに見つめ合っているうちに、久しぶりに会う喜びがじわじわと高まっていった。サトシは力なく片腕を上げ、もっと近寄るようにと誘い、マナミがそれに応えると自然に二人は抱き合う形になった。マナミの耳元には、思いを込めた彼の「会いたかった」の一言が届いた。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/07/07 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)