水色書架

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もの憂げな三日月 (82)

部屋の壁に掛かっている時計の針はは午後11時半を回ろうとしている。2時間ほど前に帰宅したマナミは、テーブルに置いた一枚の名刺を前に物思いに耽っていた。いつもならバーから帰るのは深夜になるが、アヤの結婚パーティーを終えた後の早い時間にバーへ向かったため、帰宅も早まった。

さっきマナミの身に起きたことは現実ではなく夢か幻ではなかったかと疑っていた。耳に残る告白の言葉も、サトシへの思いに気づいた自身の都合の良い幻想なのではないかと。

ただ一つ、現実のこととして残されている唯一の証拠がこの名刺だ。サトシの名前、役職、会社名と社の電話番号のほかに、彼自身のケータイナンバーとアドレスが印刷されている。

それを眺めているだけでも胸がときめくのだから、恋心もよほど重症だと一人苦笑したが、サトシが真剣にマナミに求婚した事実をどう受け止めていいか、またどう答えていいものかわからなかった。

「あさっての朝までに返事を・・・って、
 考える時間もないじゃないの。」

今日もあと半時間で終わる。明日一日、たった24時間で答えを見つけ出さなくてはいけないことに、マナミは腹を立てた。しかし、時間の問題ではないのかもしれない。互いが好きだとわかった時点で、迷いもなく答えは出そうなものなのだ。

にもかかわらず迷いがあるのは、あれほどバーでサトシにからかわれた年齢差のことだった。サトシが子どもを望んだところで、マナミはもう若くない。高齢出産する女性たちはいる。しかし、自分にはその能力さえ疑わしいのを考えると、躊躇わずにはいられなかった。

「僕で試してみますか。」

以前、サトシがバーでマナミをからかって言ったのを思い出した。あれは冗談ではなく、半ば本気で言ったのだろうかと振り返ると、急にマナミは体中から湯気がたつほど熱くなった。はたして彼は子どもを持ちたいと思っているのか。

だとすれば、マナミには応えられない。少なくとも、不妊治療の検査を正式に受けてみなければわからないし、今からそれに踏み切るだけの気力があるかと考えると、自信はなかった。今更この問題に向き合うのはただ辛いだけだ。

シノダのときは、彼にも前妻との間に子どもがいなかったことが前提としてあり、マナミに子どもができなくても気が楽だった側面がある。それとも彼も子どもを望んでいたのだろうか。風水の占い師の助言を受ければ可能になるとでも考えていたのだろうか。

マナミは首を振って、余計な思考を払拭しようとした。考えれば考えるほど、幻想から程遠く現実的に臆病になってしまう。親友のトウコに相談しようかとケータイをとりかけたが、それもやめた。サトシが一人で考え打ち明けてくれたことに対して、マナミも誠実に答えるべきだと思い直したのである。



次の日、マナミの母親が骨折で入院していた病院を退院することになっていて、マナミは車で迎えに行った。弟嫁が先に病室にあった荷物を取りに来ており、母が嫁にあれこれと指図をしているところだった。

「細かいことばかり、母がうるさくてごめんね。」

マナミは、仕事を休んで退院の準備をしに来てくれている弟嫁に気遣ってこっそり耳打ちし、荷物を受け取った。長男の嫁だから当たり前と言い切ってしまうのは簡単だが、目に見えない、いちいち言葉にできない気苦労があるのを知っているマナミは、弟嫁と母親の間をうまく取り持ってやりたいと願っていた。そうすることが心地よかった。

 私は一人では生きられないんだわ。
 いえ、違う、誰かと関わっているのが好きなんだ。

助手席に弟嫁をバックシートに母を乗せて運転しながら、突如、気づいた。苦労と思いながらも、タカノ家にいたときも実家でも、誰かを気にし、誰かのために何かしているのが性に合っているのだ。

マナミは母親の前で、弟嫁に声をかけた。

「今度、二人で映画でも見に行かない?」

突然の誘いに、弟嫁はおっとりと聞き返した。

「子どもたちの面倒と、母や父の世話と、お仕事と、
 ずっと大変だったでしょう?
 骨休めにどうかしら。
 無理にとは言わないけど、考えておいてね。」

強引にならない程度に提案すると、弟嫁は頷いた。マナミが気を遣って誘ったつもりでも、弟嫁のほうでも気を遣って社交辞令で返したのかもしれない。それでもいい、身内同志、気持ちよく過ごせるのならと思った。

寡黙で頑固な父にも腰の具合を聞いたり、父好みのおかずを作ったり、弟嫁は気を配ってくれていた。弟は暢気なタイプだが、夫婦仲はいいらしい。子どもたちにも家のお手伝いをさせて、おっとりした性格ながら弟嫁が精一杯尽くしてくれているのがわかる。

母親はマナミに、嫁にそんなに世話をかけた覚えはないけどと愚痴めいていたが、孫3人を生み育ててくれているお嫁さんに感謝しなけりゃとなだめると、あっさりと母は認め、しまいには、マナミに、

「あんたも早く再婚して、
 今度こそ幸せな家庭を持てるといいのにねぇ。
 選り好みしてるんじゃないの?」

と説教をする始末だった。実の親子だから互いに言いたいことも言える。

母を実家に送り届けて荷物を下ろすと、マナミはそのまま仕事に向かった。勤め先のスポーツジムでは、もうシノダと別れたことが伝わっているらしく、空気感がいつもと違っていた。縁談を断って以来、シノダとは顔を合わせていない。さすがに気まずいのだろう。マナミは仕事とそれとは区別しているつもりなので、気にしてはいなかった。堂々としていれば、そのうちつまらない噂話は消えるはずだ。

仕事に没頭するつもりでいたが、サトシへの返事をどうするか、常に頭の中にはあった。ふと、昨夜の別れ際に抱きすくめられたことが脳内に蘇り、個人票を収めた棚の前で一人顔を赤らめてしまい、他のスタッフたちに変に思われないかとバツの悪い思いもした。

そうこうするうちに時間だけは刻々と過ぎてゆく。

サトシと結婚ということになれば、彼は数年は日本に帰れないという話から推してみても、マナミも日本での仕事も何もかも捨てて海外で暮らすことになるのだろうか。仕事を捨てて、彼についていくことができるだろうか。いや、彼はマナミにどんな結婚生活を期待しているのかわからない。

 求婚しておきながら、
 他に何も語らないで返事をくれだなんて、
 ずるいわ。

と、また腹が立ってきた。

 だいたい押し付けがましいじゃないの。
 いくら海外に行くからって、
 大事な決め事に、期日指定までして。
 そんなに簡単に決められるわけないじゃない。

苛立ちを募らせ、仕事をしている最中だというのに鼻息が荒くなる。そうかと思えば、皮肉屋で悪戯っぽいサトシの顔を思い浮かべると、全て許してしまいたくなる上に、会えなくなることに焦りを覚えて切なくなる。

 今頃は明日の出発の準備に追われているんだろうな。

昨日の結婚式のために奔走して、サトシ自身の準備は後回しになっていただろうことは想像される。もう一度会ってくれる時間はないかもしれない。しかし、電話やメールで済ませるなどとてもできないとマナミは結論付けた。

心此処に在らずの状態になりながらも、どうにかその日の仕事を終えてから、マナミは思い切って名刺にあるサトシのケータイに電話をした。すぐには出られないのか、コール音だけが虚しく響く。時間をおいてかけ直すつもりで切りかけたとき、サトシの畏まった硬い声が耳に入った。マナミが名乗ると、急に声を和らげた。

マナミが無理を承知で会える時間がないだろうかと尋ねると、彼は頭を悩ませているのかしばらく無言になり、明朝のわずかの時間ならと答えた。

「今すぐにお返事は頂けないんですね?」

と、彼は苦渋の響きを持たせて尋ねてきた。大切なことだから一目でもお会いしたいと返答すると、彼は了承した。11時前の飛行機に乗る予定とのことから、マナミは空港まで自分が車で送っていくことを提案した。

「そうすれば運転している間も
 お話しすることができるわ。」

我ながらいい思いつきだとマナミがはしゃいで言えば、サトシが電話の向こうでくすくす笑っている。

「わかりました。
 では、お願いするとしましょう。

 でも、今夜もあなたの返事が気になって、
 眠れそうにないですね。
 車の中で居眠りしても怒らないでくださいよ。」

と、彼が言った。またそんな不真面目なことをとマナミはたしなめたが、内心ではいつものサトシらしくて安心した。それから迎えに行く待ち合わせの場所と時間を取り決めた。

電話を切った後、サトシが一つため息をついて、

「当たって砕けるつもりだったのに、
 返事を待たされるのは辛いな。
 俺はこう見えても、小心者なんですよ、
 マナミ先生。」

と独り言を言ったことなど、マナミは知る由もなかった。

ケータイを懐にしまうと、サトシはさっきまでいた伯父の部屋に戻った。マナミと話していたときとは打って変わって無表情になり、伯父の細かな指示を受け、社内で社長である伯父の経営方針のやり方が傲慢だと不評を買っていることに悪態をつき、最後には頼むぞと励まされた。

サトシが伯父の肝いりで厚遇されていると、役員や社員たちに受け止められ、やっかむ者たちもいる。不景気のせいとばかり言えない経営不振で、伯父のワンマン経営に文句を言いたい社員たちには、社長の甥にまで八つ当たりしたいらしい。社内には、次期社長の座をめぐって派閥争いがあるのも知っている。

そんな中で、初めこそ強引な手法と揶揄されたものの、つぶれかかった子会社をどうにか立て直したサトシに味方しているのが、その子会社の社長や従業員だ。親会社の社長に送り込まれてきた若造と蔑んでいたはずが、情け容赦なく権力を振りかざす社長とは違って、合理的ではあるものの従業員への配慮を忘れなかった彼を評価したのだった。孤独には耐性があるとはいえ、援護してくれる人たちの存在は心強い。だが、伯父の望むような仕事ができるまであと何年かかるだろうと、サトシは考えていた。



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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/06/26 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)