水色書架

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もの憂げな三日月 (81)

時間がたつとバーの中もいつも通り、客が溢れるようになってきていた。ここが閑散としていた例はあまりない。店の雰囲気はマスターの人柄に左右される。常連たちも都会に数多あるバーの中でも結局ここに根付くのは、マヤマの醸し出す品のよい、優しい空気感に誘われるからだろうかとマナミは思う。

マスターのマヤマは決してお喋りなほうではないのだが、話しかければどんな話題にも受け答えし、知識の幅も広く、酔っ払いの戯言には深入りせず、さりげない客あしらいをする。プロのバーテンダーはかくあるべきというお手本のような人だった。もちろん、カクテルを作る腕前も大したものらしいが、酒に詳しくないマナミにはそれがどれほどものもなのかはわからなかった。

「ミヤケさんはどうしていらっしゃるんですか。」

そう尋ねたのは、マナミにではなくサトシからマヤマへであった。トウコとマヤマは籍を入れて、結婚したばかりだ。

「トウコさんはいつものように仕事が忙しいようです。」

マヤマが妻になった女性のことを苗字ではなく名前で呼んでいるのは新鮮な感じだったが、

「ああ、失礼。
 もうミヤケさんではないですね。
 マヤマ夫人でしたね。」

と、サトシが気づいて言い直した。マヤマはややはにかんだような笑みになり、静かに頷いた。

「今の仕事が一段落したら、
 会社を辞めるかもしれないと申してますが、
 さて、あの方が次に何をするつもりなのか。」

困ったふうではなく、これからトウコがどんな新しいことを始めるか楽しみにしている様子でマヤマが言った。

「トウコなら何をやっても上手にこなしていきそうね。」

「世渡り上手な感じですね、マヤマ夫人は。」

マナミもサトシもトウコに高い評価を与えた。それからサトシはマナミのほうに顔を向けて、

「次はあなたの番ですね。
 再婚の日も近いんじゃないですか。」

と、悪戯っぽい、どこか探るような眼差しをして尋ねた。その瞬間、マナミは顔を曇らせた。当然、サトシがそれを見逃すはずはない。

「どうかしましたか。」

マナミは目を伏せて、しばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「イケザキさんは、占いに興味があります?」

サトシにとってはあまりに唐突な話で面食らった。およそ縁がないと答えると、

「じゃあ神仏に頼るとか、
 信仰を持っているとか。」

と、重ねてマナミが尋ねた。彼はますます困惑した。

「どういう話の展開かわからないな。
 いや、僕は無神論者というわけじゃないですが、
 神仏に頼るよりまずは自らの手で
 やり遂げたいと考えるほうです。」

サトシの口からそう聞くと、マナミはホッとしたような気分になった。そして、彼に馬鹿げたことを訊いてしまったと恥ずかしくなった。だが、サトシのほうでは質問の訳を聞きたがったため、付き合っていた男が風水に凝っていたため幻滅したのだと正直に話して聞かせた。それから離婚した前の夫や、夫の家族が宗教に熱心だったことも、この際喋ってしまうことにした。

「前の夫の家の日常が常に宗教の価値観で覆われていたせいで、
 占いや、スピリチュアルというものに、
 拒否感が強くなってしまったんです。

 風水に心酔している彼とは別れました。
 きっと再婚しても、その点だけでうまくいかない気がしたんです。
 物事を決断するのに、お告げや占いを当てにするなんて、
 頼りなく思えて。」

愚痴めいた話を聞かせても一笑に付されるだろうと思いつつ、マナミは全てを話した。しかし、

「あなたが考えているより、男でものめりこむ人は多いですよ。」

と、サトシはあっさりと答えた。トウコも同じことを言っていた。

「大抵は奥方や家族に勧められてということらしいですが、
 仕事上で、賭けのような決断を迫られると、
 最後には神頼みしたくなるものです。
 わからないではないな。」

「そういうものなんですか。」

マナミは目を見開いて、意外だと驚いて見せた。

「たとえば、社運を賭けた大事な商談や契約で、
 失敗したら降格ものですからね。
 そのプレッシャーから、神頼みや験担ぎをしたくなるのは、
 僕にもわかるということです。」

「だったら、私は理解のない心が狭い女なんでしょうね。」

マナミは磨かれたカウンターに頬杖をついてため息をこぼした。サトシもトウコも第一線で仕事をしていて、主婦をしていた自分だから知らない情報だったのかと考えると気落ちもした。

「でも、私、どうしても拒否反応があるんです。」

ごく普通に神社で初詣したり、寺で手を合わせることはあっても、占いはただの話題の一つにしか過ぎなかった彼女にとって、盲信する気持ちがわからなかった。その点が逆に弱みでもあった。甘い人生を送っているのではないか、不信心なのではないかと、責められている気がするのである。

サトシは急いで否定した。

「ああ、いや、頼りたくなるのもわからないではないというだけで、
 実際に委ねる気にはなれないですよ。

 むしろ僕はずっと世間を呪って生きてきたようなもので、
 自力で這い上がろうともがいてきましたしね。

 唯一つ、僕が神頼みしたのは、・・・」

サトシが言いさしたとき、マナミは顔を上げた。

「真剣に神頼みしたのは、
 重体だったアヤの命を救って欲しいと
 祈ったときだけです。

 あれほど切に願ったことはなかったし、
 アヤが意識を取り戻した時に、
 あれほど神仏に感謝したこともなかった。」

彼は当時のことを思い出しているのか、眉を険しく寄せて言った。マナミには、宗教用語が飛び交っていたタカノ家とも、風水の説明をしていたシノダとも違う、真摯な祈りの姿をサトシに見た思いだ。同時に胸も痛んだ。

「誤解しないでほしいのは、
 占いや宗教を頼ったところで、
 結果責任は誰が負うのかということです。
 あくまで自分の責任においてと覚悟しているならともかく、
 占いや宗教を言い訳になんかできない。

 人智の及ばないところに祈りをもつのはかまわないが、
 どんな場面においても、無節操に頼るのは、
 現実において責任回避しているだけだと、僕は考えますね。

 だから、いつも真面目に地道に取り組んでいる
 あなたのような人が、
 安易に占いや信仰に頼っている人に接触されれば、
 拒否反応を示しても、当然だと思いますよ。」

サトシが熱っぽく説くのをマナミは目をぱちくりさせて、聞き入っていた。こんな風に論理的に説明されるのは初めてだ。形のない非現実的な話題だけに、感情的になるか、煙に巻いてうやむやになってしまうかで、議論にもならないのが常だった。

「拠り所にしたい人がいる以上、
 否定するつもりはないんです。
 でも・・・。」

「押し付け無用・・・ですね。
 わかりますよ。」

マナミが言いかけたこともサトシは推し測って合わせてくれている。トウコにも相談しやすかったが、サトシはもっと明快に答えてくれる分だけ、彼女の内でもやもやしていたものが晴れていくようだった。

「そう仰っていただくと、
 気持ちが軽くなったわ。
 ずっと、こういうものを嫌がっている私が、
 いけないことを言っているような、
 どこかで後ろめたさを感じていたんです。」

「そりゃよかった。
 年下の僕でもお役に立てたわけですね。
 どうです? 年齢は関係ないでしょう?」

得意そうにサトシがふんぞり返って言った。さっきの年齢の話にまた戻すのかとマナミは呆れ顔になり、

「もう。私には深刻な話だったのに。」

と、頬を膨らませた。

「真面目にお答えしたつもりですよ。
 40歳のあなたのお悩みに。」

と言い返すサトシの口許は、この前見たチェシャ猫が笑ったような三日月とよく似ている。

「まだ40歳にはなってません!」

マナミはもう一杯カクテルをマヤマにオーダーしながら、くっくと声を立てて笑っているサトシを睨んだ。一方で、こうした会話が心弾むほど楽しかった。会うたびに少しずつ彼に親しみを感じてきていた。

だが、そのサトシはあさってには遠くに旅立ってしまうことを思い出すと、またもやマナミの胸の内を風が吹き抜けていく。乳白色に輝く月が風にたなびく雲の中に隠れてしまったときの寂寥感にも似ている。そして、あの月をもっと見たいと焦がれるような感覚にも陥る。それがどういうことなのか、答えはわかっていた。

「寂しくなりますね。
 あなたがいらっしゃらなくなると。
 あの、アヤちゃんが・・・。」

最後の一言は取ってつけたように彼には聞こえたかもしれないとマナミはドキドキした。

「アヤにはクリハラがついていますから。
 僕はもう用無しですよ。」

彼は気づいているのかいないのか、しかし、マナミは自分の心に嘘はつけない。サトシのことが好きなのだと、今この瞬間に認めざるをえなかった。彼といるこの短い時間が貴重なものであり、特別なものと感じる以上、マナミのサトシへの気持ちは単なる友人のそれとは違う。

 今頃、こんな気持ちになるなんて。
 こんなに好きになるなんて。

それでもマナミは努めて普段通りに振舞おうとして、マヤマから受け取ったカクテルグラスをサトシに向け、彼の海外での活躍を祈って乾杯をした。彼の持つグラスと、マナミのグラスが軽い音を立ててぶつかる。グラス一杯分を飲み干すまでのわずかな間だけ、せめて大切に過ごそうと秘かに誓った。



二人がバーを出て、大通りに差し掛かったとき、サトシが送っていこうとしたのをマナミがタクシーを拾って一人で帰るからと断った。おかしなもので、彼が好きなのだといったん認めてしまうと、別れが辛くなる。二人でいる時間が長引けば長引くほど、マナミの気持ちが引きずられてしまう気がしたのである。

「あちらではお体に気をつけて。」

マナミはさよならの言葉を使いたくなくて、わざと明るく振る舞った。

サトシはしばらく彼女を見つめた後、

「アヤのことをよろしくお願いします。
 マナミ先生もお体に気をつけて。」

と声をかけ、先に通りを歩いて行った。マナミは無性に切ないほどの寂しさに襲われながら、彼の後姿を見送っていた。

十メートルほど行ったところだろうか、サトシが急に立ち止まったかと思うと振り返り、まだマナミがそこにいるのを確認すると、踵を返して走って戻ってきた。何事かとマナミが問う暇もなく、サトシに抱きすくめられた。あまりに突然だったため、手に持っていたブーケを落とし、無防備に彼の腕の中にいたマナミは、胸の鼓動が高まっていくのをどうしようもなかった。

「このまま離したくないと言ったら、
 あなたはどうします?」

抱きしめている両腕がますます力強くなっていく中で、サトシの声が耳元で響いた。

「またからかってらっしゃるんでしょう?」

「本気ですよ。」

「いいえ、酔ってらっしゃるわ。」

「あのくらいの酒で、酔ったりしません。」

動揺するだけのマナミは、突然一体どうしたのかと訊いた。

「あなたを連れ去りたい衝動に駆られているところです。
 どうしたものか、僕にもわかりません。」

本気で言っているのだろうかと困惑しつつも、彼を突き飛ばすことも、もがくこともせず、いつしかマナミの方からも彼の背に手をまわしてしがみついていた。体温の温もりもさながら、互いの体をきつく密着させることがこれほど安心感をもたらすものかと離れることができなかった。

「衝動は衝動ですわ。
 寝て起きれば、忘れてしまうんじゃありませんか。」

息をするのも苦しい中で、自制を取り戻そうとマナミが呟いた。サトシは腕の力をやや緩めて、

「思えば、僕は、
 あなたを教室の前で見たときから、
 一目惚れでした。」

と、顔を覗き込みながら真顔で打ち明けた。驚いたのはマナミだ。クッキング教室を運営していたころはタカノ家の嫁だったのだから。サトシは衝動的と言いながら、感情が先走るのとは違って冷静そのものの口調で語り始めた。

「理由や打算も何もない、憧れに近いものでした。
 だからといってどうこうするつもりもなかった。
 あなたは人妻でしたしね。
 そもそも、僕は結婚などしないとずっと決めてましたから、
 アヤと睦まじい様子を聞いていればそれでよかった。

 ですが、あれから離婚されて、
 あなたと何度かお会いするうちに、
 素知らぬふうを装っているのが辛くなってきました。

 海外赴任は、未練を吹っ切るためにも
 ちょうどよいと覚悟したんですが、
 どうも効果はないようです。
 今日一日は楽しすぎました。」

マナミと同じように、サトシも互いの距離が自然と縮まってきていたことに気づき、心を動かされたというのだ。それも、日本を発つという切羽詰まった今夜でなければ、マナミを捕まえたいという衝動に襲われることはなかっただろうと彼は言った。

マナミのほうでもいっそこのまま彼の衝動に身を任せてしまいたい激情が高まっていた。だが、わずかにそれを押しとどめるものがある。彼女は彼の背にまわしていた手をほどき、離れようとした。サトシもそれ以上無理強いはせず、彼女を解放した。

その代り、サトシはマナミの手を取り、

「一度しか言いません。
 僕と一緒にいてくれませんか。
 結婚してください。」

と、いつもの鋭い視線とは違った熱い眼差しをして告白した。

「酔っているせいだとお疑いなら、
 返事は、寝て起きてからで結構です。
 僕が日本を発つまでに聞かせて下さい。」

そう言って彼は片手で背広の懐を探ると、ケータイの電話番号やメールアドレスが印字されている名刺を取り出し、急いで手渡した。

「少なくとも、旅立つ前に、
 あなたに触れて、
 思いを伝えた今夜はいい思い出になりました。」

地面からブーケを拾い上げて手渡し、いつもの悪戯っぽい微笑を最後に残して、サトシはマナミのもとからゆっくりと去って行った。名刺を手に持ったまま、マナミは頬を火照らせ、激しく心臓を躍らせたまま、しばらく茫然と夜の帳の中で立ち尽くしていた。



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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/06/22 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)