水色書架

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もの憂げな三日月 (75)

ユキエがタカノ家に嫁いできてから初めてまともに姑に反抗したその夜のこと、シズカもあのまま引っ込んではいなかった。仕事から帰宅した息子のテツジに嫁が口答えをしたと鬱憤をぶちまけたのである。おまけに何度、離れへの呼び鈴を鳴らしても嫁は母屋にやってこないし、夕飯の支度もしないと嘆いた。

さすがにテツジも驚いて、すぐに妻がいるであろう離れに行った。口やかましい母親の気性にも閉口するが、家庭の中で揉め事を起こされるのが彼にとっては一番煩わしい。離れの玄関を上がり、中の様子を窺うと、小さなダイニングテーブルにはすでに夕飯の用意がされている。奥の部屋からユキエが出てきて、

「お帰りなさい。
 すぐに夕飯にするわね。」

と、何事もなかったようにテツジを笑顔で迎えた。

「母さんと何かあった?」

普段、夕飯は母屋でとることになっていただけに、いったいどういう変化なのかと彼は戸惑って尋ねた。

「テツジさん、私、
 もうお義母さんの言いなりにはならないと決めました。」

ユキエは鍋に火をかけながらそう告げ、今朝の母屋での出来事をすべて話した。テツジにしてみれば、そんなことぐらいでつむじを曲げたのかと言いたかった。前妻のマナミは愚痴を言いながらも、耐えて姑に従っていたことが思い出されたのである。

「だけど、何も夕飯をこっちで用意しなくても・・・。」

と言いかけると、ユキエは、

「前の奥さんのマナミさんは、
 嫁と姑がかち合うことのないように、
 同じ屋根の下での同居じゃなく、
 離れに住むようにアドバイスしてくれたんだと思います。
 親切でそう仰ってくれたんだと今は信じられます。」

と、夫の心の中にあるマナミの姿を見透かしたかのようにきっぱりと言い切った。テツジはぐっと息をのみこみ何も返すことができなかった。

「テツジさんには、嫁の苦労なんかわからないでしょ?
 きっと前の奥さんの気苦労も心底わかってなかったと思うわ。
 一日のうちで一番接触が多いのは、あなたじゃなく、
 お義母さん・・・。

 私だって一生懸命、ここに慣れようとしてきました。
 なのに、ここでは私は女中みたいで、家族の一員という感じがしないの。」

「待てよ。僕だって、奥さんと母親の間に入って、
 とりなす苦労はしているんだ。
 君にそれがわかるとでも言うのか。」

テツジのほうも語気が荒くなった。しかしユキエは一歩も引かない。平然と言い返した。

「だって、そんなの当然でしょ?
 同居を望んでいるのはテツジさんなんだもの。
 その苦労をしたくなければ、
 最初から別居してればよかったんです。」

テツジは背広姿で突っ立たまま、わなわなと唇を震わせた。少し言い過ぎたと思ったのか、ユキエがあわてて、

「私だって何もお義母さんと喧嘩したいわけじゃないんです。
 普通におしゃべりしたり、楽しく過ごせるならそうしたい。
 でも、自分を押し殺してまで仕えるのでは、
 私はとても、・・・アンズもいるのに、耐えきれない・・・。」

と、おもちゃで一人遊びしているアンズを振り返って、声を落として付け加えた。テツジも我が子を見た。ちょうど幼子はパパを見つけて、おもちゃを片手にこちらに向かって歩いてきた。言葉になってない言葉を発しながら、ニコニコと邪気のない笑顔で近づいてきて手を差し出す。テツジはすぐに抱き上げて頬ずりして可愛がった。

「テツジさん、私は私らしくいたいんです。
 呼び鈴を鳴らされて呼び出されるような、
 便利屋みたいな扱われ方はもう御免です。

 私という女をちゃんと見てもらって、
 それでも嫁として認めてもらえないのなら、
 私はここにいようとも思いません。」

できるだけ感情的にならないように努めて、ユキエは夫を説得した。離婚も辞さないという意味をくみ取ったテツジは、

「アンズを連れて出ていくつもりか?
 君も僕を捨てていくのか?」

と、力のない声で訊いた。いい年をした男が言うには女々しい台詞だ。が、前妻にあっさりと離婚を告げられた経験がよほど堪えたらしいとユキエは感じ、また、どれほどの愛情がユキエにあるのかはわからないにしても、彼女を疎んじているのではないことはわかった。

「今の状況がずっと続くのなら、それもあるかもしれません。
 でも、私は、アンズのためにも、
 ここであなたと一緒に暮らしたい。」

ユキエは精一杯、自身の気持ちを伝えたつもりだ。それがテツジにどこまで響くのか、母親との依存的関係が強いだけに期待はできなかったが、希望は持ちたいと思った。
 
「僕はどうすればいいんだ?」

テツジが情けなそうな表情をしてポツリと呟いた。




夫婦で話し合いをし、息子が嫁を説き聞かせたであろうと考えていたシズカは、翌日になっても何も音沙汰のない嫁に業を煮やして、インターホンで呼びつけようとした。ところが、何度スイッチを押そうが何の反応もない。通じていないことがやっとわかると、今度は離れに直接出向いた。顔を出したユキエが、

「テツジさんならもうお出かけになりましたよ。」

と、あっけらかんと姑に知らせた。鼻息の音まで聞こえそうなほど猛烈な勢いでシズカは、

「で? テッちゃんはちゃんとあなたをたしなめたんでしょう?
 昨日のことは反省しているのよね?」

と傲慢な顔つきでユキエに迫った。ユキエのほうも、もう姑と対決する腹積もりはしていた。

「話し合いはしました。
 アンズを含めて3人で仲良く暮らしたいというのが結論です。
 でも、反省って、何のことですか?
 私は何も悪いことはしてません。」

離れの玄関先で嫁と姑が朝っぱらから言い合いをしていれば、いくら敷地が広いとはいえ、隣家にまで聞こえてしまう。そんなことも二人ともお構いなしで火花を散らした。

「昨日、私に無礼なことを言ったのを反省してないって言うの?」

「当たり前のことを申し上げたまでです。
 常識じゃないですか?

 それでも私が悪いとおっしゃるのなら、
 私、もう母屋に顔を出さないことにします。
 掃除も、ご飯の支度も、買い物も、何もかも、
 お義母さんがなさってください。

 私たち3人はこちらで生活します。」

ユキエは胸を張ってきっぱりと言い切った。この一言をどれほど今まで抑えてきただろう。姑の機嫌を損なうことに遠慮して、もやもやと心の中でしまっていただけのこの一言を現実に口に出してしまえば、これほど清々しいことはなかった。

整った顔立ちのシズカが恐ろしいほどの形相に変化していくのを目の当たりにしながらも、ユキエは少しも怯むことがなかった。

「天声お導きノ会も辞めるつもりでいます。」

「なんですって!?」

これにはさすがにシズカも完全に理性を失って感情的に嫁に抗議した。あの会で信仰を持っているからタカノ家の安寧が保たれているのだとか、アンズが幸せに健やかに育っているのも会のおかげだとか喚き散らし、挙げ句には、

「わかったわ。
 マナミさんの生霊が、あなたの信仰の邪魔をしているのね。
 あの人は自分がこの家から追い出されたものだから、
 恨みを残しているのに違いないわ。
 あなたは霊に惑わされているのよ。」

と言い出した。黙ってシズカの怒りを受け止め耐えていたユキエだったが、これには頑として否定し反論した。

「私は正気で言ってるんです。
 前の奥様とは関係ありません。」

姑の勢いに負けまいとユキエも大声を張り上げたが、シズカは聞く耳を一切持たずに、生霊のせいと決め込んで、お導きノ会で巫女に祓ってもらわなければという呟きを残して、すぐさま母屋に取って返した。

決して事実を認めない姑に、そんなふうだから付き合いきれないのだとユキエは去っていくシズカの後姿を見送った。ユキエのほうでもお導きノ会に出かけるつもりだった。彼女は思い立ったらはっきりさせておきたい性格だったため、自ら退会の申し出をするつもりでいたのである。

離れの部屋の中に戻るとユキエは、ゆっくりと出かける準備を始めた。昨夜テツジにもお導きノ会を辞めると告げてある。困った顔をしていたものの、無理強いするつもりはないから好きにすればいいと彼は答えたのだ。シズカほどには押しが強くない。会に行って辞めると言えば、シズカのような者たちから引き止められるのも覚悟していた。ただ、退会を決めた以上、お守りの水晶のペンダントは自らの手で返すつもりだった。

母屋の玄関の引き戸が閉まる大きな音が聞こえた。シズカが出かけたようだ。かと思えば忘れ物をしたのか引き返してきて、再び出て行った。この出かける際の往復はもはや彼女の儀式みたいなものだ。

アンズに服を着せ、ユキエも着替えを済ませた後、離れだけでなく母屋の戸締りをして今しも表の門を出ようとしたとき、隣に住むマルヤマ夫人に出くわした。ゴシップ好きの老婦人である。ユキエと目が合っても臆することなく、

「おはようございます。
 今朝はなんだかお宅のご様子が賑やかでしたわね。」

と、皮肉混じりに話しかけてきた。

ユキエがこの夫人を苦手としていることをマナミに話したとき、近所や地域の人たちは大事にしたほうがいいとアドバイスをもらったことがある。つかず離れずでよいから適当に合わせておいて、決して敵に回してはいけないと。他人というものは噂話が好きで、自らの知らないところでどんな評判を立てられ、広げられるかわからないからと言っていた。ユキエもそれに従うことにした。

「うるさくてご迷惑おかけしました。」

と、ユキエがマルヤマ夫人に丁寧に頭を下げると、夫人はその姿勢に気を良くしたのか、

「いえいえ、こちらのお嫁さんはほんとに大変ですわね。
 前の若奥様もよくやってらしたけど、
 あなたもご苦労なさいますわね。」

と若嫁に同情を示し、アンズを可愛いと褒めそやした。愛想笑いを浮かべただけでユキエが何も言わずにいると、

「こちらの大奥様も悪い人ではないんだけれど、
 ちょっとその・・・横柄なところがおありで、
 何かというと、神様への信仰が長いとご自慢なさって、
 人とは違うとでも言いたげでねぇ。」

と、話し始めた。どうやら、お導きノ会を辞める辞めないの話が夫人の住む隣家にまでまる聞こえだったようだ。

もともとタカノの屋敷は天声お導きノ会の教祖の親にあたる人物が所有していたもので、代替わりした教祖が熱心な信者であるシズカに購入を促したのだが、古くから住んでいる近隣の人たちにも当然その宗教は多少なりとも知られているという背景があった。

「ご寄進にどれだけ尽くしているかという話も
 大奥様はよくなさるんですよ。
 信仰の甲斐あって羽振りもよろしいんでしょうね。」

今度はタカノ家の経済事情まで突っ込んできそうな流れになってきていた。他人の家の懐事情に探りを入れるなど、この夫人も品がないと、ユキエは内心で苦々しい気持ちでいた。

どれだけシズカやテツジが、お導きノ会にお金を遣っているかユキエは全く知らない。実際、月に手渡される生活費はさほど多くはないのだ。姑はサヨコの高い化粧品を買う以外、普段は倹約しているのを考えても、寄進のために多くを遣っているに違いないと想像されるだけだ。

ユキエはアンズがむずがり始めたのをきっかけに、体よく切り上げようとした。これ以上詮索されるのは、嫁の立場としても困る。しかし、マナミが話していた通り、マルヤマ夫人とそれなりに仲良くしていれば損はないとわかった。他人であろうと味方は多いほうがいい。

会釈して去ろうとすると、マルヤマ夫人が、自家製の漬物をどうぞとビニール袋を渡した。さっきから酸味を帯びた匂いがしたのはこれかとユキエは手渡されたものをじっと見つめ、きっと漬かり過ぎて色も変色したキュウリか何かに違いないとげんなりした気分ながら、大げさなほどお礼を言って、ようやく老夫人から離れることができた。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/05/23 07:45 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)