水色書架

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もの憂げな三日月 (74)

サキの誕生パーティーをした次の日、里帰りしていた義妹カナコが朝寝坊してゆっくりと起きてくると、台所に行って何か食べようと冷蔵庫を開け、昨日の料理の残りなどテーブルに出して食べ始めた。そこへシズカがやってきて、

「カナ、なんですか、もう10時を回ってるっていうのに、
 今頃起きてきて、朝ごはんだなんて。」

と、娘のだらしなさに苦言を呈した。

「いつまでも独身気分でどうするの?
 ちゃんとあちらでも家事はやってるんでしょうね?
 もう三行半を突きつけられる真似はしないでちょうだいよ。」

くどくどと重ねて説教をする母親にカナコはあからさまにうるさがって、

「ちゃんとやってるわよ。
 夫より早く起きて、朝食の用意して、
 送り出して、後片付けに洗濯にお掃除。
 たまに実家に帰ったときくらい、ゆっくりさせてよ。」

と、口答えした。だが、シズカはろくに聞かず、ぶつぶつと文句を言っていた。カナコの借金を肩代わりしてくれた婿を大事にしなくては顔向けができないというのだ。それを言われるとカナコも返す言葉がない。ホストクラブに入れ込んで積み上げた借金は、仕事をし続けながらでもそう簡単に払い終えられる額ではなかったのだから、今の夫には感謝しこそすれ、粗末になぞできない。

それでも彼女の脳裏に浮かぶのは、冷蔵庫を開けては無駄なものがないか点検する夫の姿だった。彼は意外に金にシビアだった。小遣いを含めた生活費を渡しながらも、家計簿をきっちりとつけさせて報告させるのも常だ。喉が渇いて自販機で買った飲料までもチェックする。カナコが仕事で稼いでいたときは自由に使えたのに、今ではそれができなくてだんだん気詰りになってきていた。

それだけじゃなく彼は、仕事で海外へ行ったときに買ってきた多くの骨董品の手入れに余念がなく、家中が清潔になっているか見て回るのも習慣であった。埃一つ落ちていても顔をしかめる。そのたびにカナコは落ち着かなかった。夫は外面がよく、社交的な嫁のカナコが彼の体面を保つのに具合がよかっただけなのだと気付いた。

どんなに不服があっても借金を肩代わりしてくれた今の夫に、文句を言えた義理ではないのは身に染みてわかっているが、特別愛情があって結婚したわけではないだけにやりきれない気持ちがカナコにはあった。

娘のそんな憂いを察知することもなく、シズカは柱に取り付けられたインターホンを押した。それは離れにいる嫁ユキエを呼び出すためのものだ。カナコは用事のたびにベルを鳴らして呼びつけられるユキエに同情した。前妻のマナミがいたときですら、一日に何度、シズカは階下から呼び出したことか。後妻は離れに住むようになったのに、呼び鈴みたいなものをつけてまで、相変わらずシズカは嫁を女中のように扱っている。若い兄嫁を気の毒に感じた。もっとも、それだけで母親に意見したりはしない。自分には関係ないと思っていた。

しばらくしてアンズを抱いて無表情な顔をしたユキエがやってきた。この家に嫁いできてしばらくは一生懸命愛想をふりまいていた嫁も、忍耐の限度をむかえているらしいのをカナコは感じとっていた。

「ああ、ユキエさん、遅かったわね。」

姑のこの言葉にユキエの表情はますます硬くなる。やりかけの家事を放って、急いでやってきてもこの言いぐさなのだから無理もない。シズカは呼べばすぐに来て欲しがるのだ。

「昨日サヨから頼まれてたことがあってね、
 あなた、パソコンが使えるんでしょう?
 悪いんだけど、サヨの仕事の報告書、
 作っておいてやってくれないかしら。」

シズカは言葉とは裏腹に少しも悪いとは思ってもいず、命令口調で嫁に書類を差し出した。ユキエは口元をへの字に曲げて抗議の姿勢を示した。ママに抱かれているアンズは無邪気にその書類を掴もうと手を伸ばした。

「サヨは機械が苦手なのよ。
 いつもなら後輩に頼んでいたそうなんだけど、
 配置換えになったらしくて、
 頼める人がいないんですって。
 あなたはお勤めしていたときに、
 事務でパソコンを使ってたんだから得意でしょう?」

アンズに目を細めてあやしながらも、姑が嫁に向かって言った。嫁は逆らいはしないという自信がシズカにはあった。

しかし、ユキエはいつもなら無理にでも飲み込んできた感情を発露させた。

「それはお義姉さんの仕事ですよね。
 私にはまったく関係のないことですし、
 いくら私がパソコンが使えるからといって、
 社外の人間に大事な書類を見せるのも、
 作成させるのも非常識だと思いますけど。」

そんなことは世間で許されるはずのない行為だと憤然と嫁が姑に説いて聞かせると、シズカの美しく弧を描いた眉がぴくりと動き、きつい眼差しになった。

「そりゃね、ユキエさん、
 そんなことはわかってますよ。
 会社には黙っていればどうってことはないわ。
 身内なんだから助け合うのが当然じゃないの?」

「助け合う?」

ユキエの胸の鼓動が高鳴った。

「私はこの家でこき使われてますけど、
 誰にも助けてもらった覚えはありません。」

いつになく好戦的な嫁の態度に、シズカも驚きは隠せなかった。のんびりと朝食を食べていたカナコも同じだった。

ユキエの頭の中にはこれまでの様々な不満が渦巻いていて、一つ一つの腹立ちの事柄が思い起こされ、止めることができなくなっていた。この家にサヨコたちが足繁くやってきては夕飯を食べていき、手伝うこともせずにふんぞり返って、アンズを可愛がるわりにはお菓子の一つも持ってこない、寧ろ、義姉の化粧品を買わされる有様だ。仕事が忙しくて大変だというのが口癖だが、だからといってユキエのために働いているわけでもあるまいに、偉そうにされる筋合いはないとずっと腹の中で憤ってきたのである。

「それに、どうしてお義母さんから頼まれなきゃいけないんでしょう?
 お義姉さんが頭を下げて私に直接頼むべきでしょう?
 昨日も私と顔を合わせているんですよ?」

サキの誕生日を祝うのに、タカノ家でパーティーをするのもどうかと思うが、娘のために準備してくれているユキエにサヨコは、社交辞令のありがとうと告げただけで、何の手伝いもせず、座り込んだままだった。会社の書類作成を頼むなどという道徳観念の無さに目をつむったとしても、ならば、本人がじかにユキエに言いに来るべきだと主張した。

シズカは口をパクパクさせて不器用な言い訳を繰り返したが、傍で聞いていたカナコは、

「そりゃ、お姉ちゃんが悪いわよ。
 ユキエさんの言う通りね。」

と、食べ終えた皿を片付けながらのどかに言った。珍しく助け船を出してくれた義妹だが、ユキエにはそれがどこか他人事をジャッジしているように聞こえた。

「そう。わかったわ。
 じゃあ、サヨからユキエさんに頭を下げさせればいいのね?」

どこまでも居丈高なシズカに、ユキエの怒りはますます募る。母親に言われて渋々義姉がおざなりな依頼をしてくるだろうことも想像できる。形ばかり頭を下げてでも、頼ることしかしない。有無を言わせず従わせる。それは義姉だけでなく、姑も、時にはカナコもそうなのだ。自分を馬鹿にしているとしか、ユキエには感じられなかった。

「いいえ。やっぱり応じられません。
 お断りします。」

アンズが腕の中でもがいて、唸りを上げているのも気に留めず、ユキエはきっぱりと言い切った。そしてシズカが何事かを反撃し始める前に、急いでその場から離れ、母屋を出ていこうとした。背後から、ユキエに加勢したカナコを叱り、嫁が前妻のマナミに似てきた、反抗的になってきたと喚き散らしているのが聞こえた。

ユキエはタカノ家の女帝に抗ったことに自身でも信じられなかったが、そうせずにいられないほど我慢ができなくなっていたのも認め、心臓が激しく動悸するのを抑えようがなかった。その勢いで、母屋から離れに繋がっているインターホンの線を切ってしまおうと考えた。あれがある限り、女中扱いにされるだけだ。

母親の傍で数々の小言を聞いていたカナコもいいかげんうんざりしていた。ユキエの気持ちがよくわかる。シズカが自分の母親だから適当にあしらって逃げてきたが、今の夫にこんな姑がいたら、カナコは耐えられないでいたに違いない。

 でも、私だって、この母から逃げたかった。
 ずっと。
 お姉ちゃんもお兄ちゃんも、
 うまくお母さんに取り入ってごまかしているけど、
 うるさいのをかわしているだけで、
 支配したがるお母さんを持て余しているのよ。
 困ったときだけ都合よく、お母さんに助けてもらってるから、
 誰もお母さんから離れられないんだわ。

カナコはもう母親の小言など何一つ耳に入っていなかった。今の夫と再婚したのだって、自らの借金の帳消しという甘い誘惑があったのも否めないが、シズカの支配下から逃れられると思ったのも理由の一つだった。もっとも同じ宗教の会に入っていることもあり、完全にシズカから離れられるわけではなかったが。

 ここは私の居場所じゃない。
 夫があんなに物事に細かい男とは思わなかったけど、
 生活に不自由するわけじゃないし、
 家事さえ完璧にやってれば、好きなように暮らせる。
 この家に用はないわ。

他人から見れば自分勝手な考えだとは気付かず、カナコは母親に目もくれず、さっさと寝泊まりしていた部屋に戻り、荷物をまとめて自宅に帰ることにした。

離れではユキエがさっそく母屋とのホットラインでもあるインターホンの電源を切っていた。ただそれだけのことなのに、急に気持ちが軽くなった。このインターホンから鳴り響く音で、どれだけびくびくと怯えたことか。この先にいる美人だが横柄なシズカの姿が浮かび上がるが、電源を切ったことで、その幻影も掻き消える気がしたのである。

この家で暮らしていくユキエにとって、あれだけ啖呵を切って、シズカとこれからどう顔を合わせられるかと不安に思わないでもなかったが、後をくよくよと考える性格でもなかった。こうなったら言いたいことは面と向かってはっきり言う、嫌われてもいいと心に決めた。

積み木を重ねて遊んでいるアンズの傍に行き、一緒に積み上げてやりながら、小さな我が子を守るためには、シズカを恐れていては生活できないと考えていた。お導きノ会も心から信仰しているわけでもなく、ただタカノ家で気に入られようと安易に入会しただけなのだ。もうやめてしまおうと思った。アンズまで、シズカのご機嫌取りのためによくわからない宗教の巻き添えにするわけにはいかない。

シズカの顔色をうかがうことばかり神経質になってきた今までと違って、一度、自らの意志を決めてしまうことで、憑き物がとれたように前向きに考えられるような気がしてきた。

 私らしく暮らす。
 マナミさんと私は違うんだもの。
 それをマナミさんが教えてくれた。

前妻を敵とみなしていたかつてのユキエは、もはやマナミは唯一の彼女にとっての理解者だと強く認めるようになっていた。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/05/18 12:48 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)