水色書架

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もの憂げな三日月 (72)

まだたどたどしい足取りで、斜め方向に走り歩くアンズを追いかけていたトウコは、軽く息を弾ませていた。小さくともエネルギーの塊のような幼子についていくのがいかに大変か、もうすぐ四十路に手の届く自分の体力も含めて実感した。やっと立ち止まって足元の雑草をいじり始めたアンズを笑ってあやし、抱きかかえて、マナミたちのいる場所に戻ることにした。

遠目から、マナミとユキエがシートの上で向き合っているのが見てとれる。勘のいいトウコには、二人が深刻な話をしているらしいとわかった。わざとゆっくりと近づきながら、様子を窺っていたが、トウコの腕の中でアンズが騒ぎ出し、仕方なく地面に下ろしてやると、ママを見つけて一目散に駆け出した。

「アンズちゃん、待って。」

トウコがまた子どもを追いかけた。それに気づいたのか、うつむいていたユキエがすぐに反応して、駆け寄ってくるアンズに振り返り、幼子が勢い余って転びそうになるすんでのところで、母親の手が我が子を支えた。それは目にもとまらぬ早業だとトウコもマナミも感じた。

 これが母親なんだわ。

マナミには、さっきまで小さくなっていたユキエが、急に眩いほどクローズアップして見えた。唯一、彼女に対して優位になれないのは、子育ての経験だ。弟夫婦の子ども達を相手にすることはあっても、子育て全般をやりきったことはない。忘れていた嫉妬の念がマナミの胸の内で広がる。

「はぁ~疲れた。
 ダメだわ、私ももう年なのね。」

トウコが息を切らして叫び、どさっとシートに倒れこむように腰を下ろした。マナミは暗い感情を振り切って、無理に笑顔になると、手作りしてきた弁当を拡げ始めた。

「さ、食べましょ。
 アンズちゃんは何が好きなのかしら。」

海苔やふりかけを使ったおにぎり、肉や魚、色とりどりの野菜を使った煮物や炒め物やサラダなど、御重の弁当箱に体裁よく詰め合わせられている。しかし、誰よりも手作り弁当を喜び、歓声を上げたのがトウコだった。どっちが子どもだかわからないとマナミが呆れると、ユキエが声を立てて笑い、当のトウコも笑った。アンズは無邪気にうさぎ型のリンゴを真っ先に掴んでいた。



太陽が落ちる前に車はもと来た道を辿っていた。ユキエとアンズをタカノ家に近い大通りで下ろしたため、チャイルドシートは空だ。小さな子どもがいなくなると、車の中はやけに淋しく思われた。

「アンズちゃん、可愛かったわね。」

トウコが言った。

「ええ。そうね。」

マナミが答えた。

「ユキエさんも楽しんでたようだし。
 気晴らしになったんじゃない?」

「だといいわ。」

「で、ユキエさんには言いたいことを言ったの?
 ほら、妙に神妙な顔つきをしてたでしょ、あの子。」

トウコは窓の外を眺めながら、さりげなく親友に尋ねた。彼女ならきっと訊いてくるだろうと予測していたマナミには説明する準備ができていた。ウィンカーを点灯させ左折した後、口を開いた。

「ユキエさんは、私がタカノ家でやってたことと
 同じことをやろうとして、辛くなってきていたの。
 ”隠れ場所”に私が書いていたことを参考に、
 私の真似事をしようとがんばってたのね。

 でも、あの人は私じゃない。
 性格も、物の考え方も違うわ。

 テツジは、私の真似をするユキエさんに、
 私の影を見てしまってるんじゃないかと思うの。」

「テツジさんがあなたに会いに来たんだったわね。」

テツジがマナミの後をつけていたことをトウコにも話してあった。未練がましいと一言で非難するのは簡単だったが、マナミの知らないところで、マナミのことがまだタカノ家で引き摺られているのは心外であり、良くないことだと考えていた。

「結局、ユキエさん自身が、前妻に負けまいと
 自分を押し殺して我慢しているのがいけないのよ。
 あれじゃ、あの家で長続きできないわ。」

「ユキエさんらしさを発揮しなさいとでも説教したの?
 それでうまくいけばいいけどね。
 あの家の人たち相手に、難しそう。
 
 ふふ、だけど、やっぱりマナミは究極のお節介焼きね。
 長続きしようが、破綻しようが、
 マナミには関係ないことなのに。」

トウコの言ったことにマナミが反論しようとしたが、それより先にトウコは急に真面目な顔になって、

「だけど、マナミを見てきて、気づいた事があるわ。
 誰かのために何かをしてあげること、
 それも無償でね、
 何かをしてあげたくなる気持ちは、
 私にも何となくわかってきた気がするの。」

と、意味ありげに言った。不意を突かれて、マナミが聞き返すと、

「マヤマさんのことよ。」

と付け加えた。彼女は病院へほぼ毎日見舞いに行っていたが、やっとマヤマが退院して自宅療養している話を聞かせた。

「Da Mayamaは私が勤めるようになってからずっと
 通い詰めている唯一のバーだし、
 仕事で煮詰まるとあそこで和ませてもらった。
 お酒も好きだけど、
 マスターのマヤマさんが居心地良くしてくれるから、
 甘えてたのよね。

 マヤマさんが倒れたって聞いて、
 気が動転したの。
 あの人のいないDa Mayamaなんて、
 想像もできなかったから。」

マナミから連絡を受けたときに体が勝手に震え出し、頭の中が真っ白になった感覚をトウコは今も思い出す。大抵どんなことにも冷静でいられる自分があのような状態になるとは思わなかったのだ。

「マヤマさんが店に戻れるのはもう少し先だけど、
 マスターの代わりに奮闘している見習いさんが
 腕をあげてきてるの。
 彼の成長を感じられるのも楽しみになったわ。」

「じゃあトウコはずっとDa Mayamaにも通ってたの?」

病院へ行った後、Da Mayamaに寄るのもこのところの日課になっていたとトウコが話した。

「そんなことくらいでしか、
 マヤマさんに恩返しできないもの。」

仕事上での悩み、人間関係の悩みなど、一人暮らしで自立した生活を送っているトウコにとって、親友のマナミには話せないことも、マヤマには打ち明けて慰めてもらってきた。彼の存在はあのバーにはなくてはならないものだった。

「トウコに頼まれてたレシピ、
 私のホームページに書き溜めて更新しておいたわ。
 いつでも見られるわよ。」

ふと思いついてマナミが告げた。マヤマが胃潰瘍の手術をして、食べる物が制限されているため、トウコから相談を受けていたのだ。

「ありがとう、助かるわ。
 私だって一応料理はするけど、
 胃にやさしい献立って思いつかないのよ。」

「難しいことはないんだけど、
 毎日食べるだけに、
 レパートリーが多いほうがいいわよね。」

車はトウコの住むマンションの近くまでやってきていた。もう日が落ちかかって、夕陽がビル群の窓に反射して街のあちこちを照らしている。

「一昨日、イケザキさんに会ったわ。」

トウコの一言に、マナミは引きつけられた。

「マナミに謝っておいてくれって言われたわ。」

「どうしてかしら?」

「彼の都合で夜更けまで飲むのに付き合わせたから・・・
 ですって。」

イケザキの妹アヤと、クリハラの結婚のことで一悶着あり、その後バーで長々と彼の身の上話を聞かされたことを言っているのであろう。だが、トウコはその話までは聞いてないらしく、

「簡単に人を信用しなさそうな彼がねぇ。
 マナミには心を許したか・・・。」

と、冗談めかして横目で親友を見て言うと、マナミは邪推されるのを怖れて、慌てて言い訳をした。

「やだわ、そんなんじゃなくて、
 彼の妹が私の教え子だから。
 ちょっと相談に乗ってただけよ。
 トウコこそ、どうなの?」

尋ね返されて、今度はトウコがきょとんとした顔をした。

「深夜のバーでイケザキさんと度々会うことがあるんでしょ?」

マナミが付け加えると、瞬時に何かを察知したらしく、トウコは、

「恋の対象としてはイケザキさんは面白いわね。
 どうやってこちらに振り向かせようか、
 興味を持たせようか・・・ってね。

 意味深な答えをする割には、
 彼って堅物なのよ。
 私は振られっぱなし。」

と、愉快そうに思い出し笑いをした。彼女はやはり恋愛の相手としてサトシのことを吟味していたのだ。他愛のない艶めいたやりとりをトウコとサトシが交わしているのを想像すると、マナミはこの前の夜、バーでサトシにからかわれて赤くなったのがつくづく幼稚じみていたと思い知らされる気分だった。

「ところで、シノダさんとはどうなの?
 プロポーズされた?」

トウコが一向に再婚に向けて進展した話を聞かないマナミに水を向けた。しかし、マナミはただ首を振って黙っていた。その様子を見てそれ以上の深入りはせず、ちょうどマンションの手前まで車が辿り着くと、ここでいいとトウコは車から降りた。

「マナミのお弁当、美味しかったわ。
 今日はとても楽しかった。
 またピクニックしましょ。」

満面の笑みを浮かべたトウコはそう言って手を振った。マナミはしばらく親友の後姿を目で追っていたが、アクセルを踏んで車を走らせた。親友に嘘をついた罪悪感で胸の内がチクチクと痛んだ。なぜなら、シノダからつい数日前にプロポーズされたばかりだからだ。しかし、その答えを出すのに彼女はまだ迷っていた。



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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/05/08 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)