水色書架

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もの憂げな三日月 (70)

日曜の昼下がり、古めかしい屋敷の中で、パチパチと枝に鋏をいれる小気味いい音が反響している。低木の枝を剪定をしているのは、庭師でも造園業者でもなく、この屋敷の若嫁だった。軍手をした左手で枝を支え、鋏を入れていく。慣れているとはとてもいえないが、バランスよく刈れるようにときどきは数歩離れて全体を見ながら、懸命に揃えていた。

屋敷を通りから眺めると松が立派で目を引くのと、とても素人では枝を刈る高さではないこともあって、松だけは業者に依頼するのだが、低木や姑のシズカが衝動買いしてきた植木の枝は、自前で切るのだ。それも目に余るほど繁々とするまでは放ったらかしになっている。

ユキエが植木がみっともなくなっていると姑に呟いたばかりに、じゃあ剪定しておいてと言われ、渋々鋏を握ることになったのだ。

「マナミさんは剪定してくれてましたからね。
 あなたにもできるでしょう。」

そう言われれば、否応もない。何かにつけ前妻と較べられるために、ユキエも、

 マナミさんも手を抜いてくださっていればよかったのに。

と、不満に思うようになっていた。が、園芸が嫌いなわけではないので、鋏で刈り取ってさっぱりしていくのを見ると澱んだ気持ちも少しずつ切り取られていくようではあった。

しかし、気になるのは、前妻との比較だけではなく、シズカはたびたびユキエの名をマナミと呼び違えることだった。それに、孫のアンズのことを義妹のカナコと呼び間違えることもある。一体この家でのユキエとアンズの存在は何なのだろうと思わないではいられなかった。

所詮、嫁ならどんな名前であろうが姑にはどうでもいいのだろう。いっそのこと、名前でなく、そのまま”嫁”とでも呼べばいいのだ。嫁がいて、タカノ家を継ぐ子どもがいれば、形式も体裁も取り繕える。シズカの認識はその程度なのだ。その考えに至るとユキエはいつも落胆してしまう。

不倫の末、妊娠が発覚したとき、子どものいない前妻に対して切り札になると考えた。実際、タカノ家の姑も息子の不祥事とはいえ、跡継ぎになる子がいるとわかって動揺し、前妻が身を引いたとき、あっさりユキエをこの家に迎え入れたのだ。なのに今はずいぶん軽い扱いをされている気がする。よりにもよって前妻の名前で呼ぶなど、後妻の感情を逆撫でしたことにもシズカには罪悪感は一つもないらしい。

 アンズが男の子じゃなく、女の子だから?
 不倫の女にできた子どもだから?

鋏を持つ手が危うく軍手まで切りかけて、ハッと我に返ったユキエは唇を噛んだ。屋敷の中には誰も居ない。庭の中を風が通り過ぎていくのを頬に感じて、気持ちを奮い立たせ、また枝を切り込み始めた。

アンズは夫のテツジが散歩に連れて出かけている。枝の剪定など息子にさせればいいのにとユキエは不服だったが、シズカが息子に刃物を持たせたくないらしく、頑として手伝わせない。もしもアンズが男の子として生まれてきていたら、息子同様、腫れ物を扱うように育てるに違いない。ユキエの手から奪ってでも、シズカの子育てのやり方を押し通してくるように思われる。

 女の子でよかったのかも。

もちろんこの先、子どもができる可能性はあるし、男の子を授かるかもしれない。姑はそれを一番望んでいる。だが、ユキエ自身の立場が尊重されるとは思えない。タカノ家の女帝であるシズカが子育てにあれこれ口出しをし、ユキエはただ姑にいいようにこき使われるだけになるのは目に見えている。前妻のマナミがどんな風にタカノ家で嫁を務めてきたのか、今更ながらユキエは尋ねてみたい衝動に駆られた。

切り落とした枝や葉の屑を掃き集め、ゴミ袋に詰める作業をしていると、ベビーカーに乗せたアンズとともにテツジが帰ってきた。アンズは疲れているのか、すっかり寝入っているようだ。

「ああ、枝がきれいさっぱりになったね。
 ありがとう、ユキエ。」

優しく声をかけるテツジの顔は、アンズと公園で遊んでいて日に焼けたのか、赤身を帯びていた。

「テツジさんも疲れたでしょう?
 アンズはけっこう走り回るから、
 追いかける方がくたびれるのよ。」

ユキエは軍手をはずしてエプロンのポケットに無造作に突っ込むと、ベビーカーから幼子をそっと抱きかかえ、小声でテツジを気遣った。二人だけでいれば、ごく自然な夫婦でいられる。”子はかすがい”と、マナミの家でトウコが言っていたのを思い出した。アンズがいることで夫婦らしい会話ができるのだ。

とはいえ、夫婦喧嘩もあった。姑や小姑の間で神経をすり減らしているユキエは、テツジがあまりに彼女より母親の傍に行くのが頻繁なことに腹がたって、拗ねてぞんざいな口をきいたときだった。彼が前妻の名を口にしたのだ。マナミはそんなことぐらいで怒らなかった、と。

そのことがよけいにユキエを怒らせ、つい、前妻はもうすでに再婚するつもりで付き合っている男がいるのだと暴露し、前妻に対して未練がましいと罵ってしまった。そのため、普段温厚なテツジの形相が変わり、言い合いになったことがあったのだ。

それから十日間ほど、夫婦は口をきくどころか顔を合わすことも避けていた。タカノ家に来てから初めて、離れで一人ユキエは大泣きした。ママの泣く声でアンズまで泣き出したのを今もユキエは覚えている。それもいつのまにか元の生活に戻ったのは、アンズの存在が大きかった。いとけない赤ん坊が夫婦のわだかまりを溶かしたのだった。

唯一つ、溶けないわだかまりがあるとすれば、テツジがマナミのことを今でも忘れられないでいることだ。表面的には彼はユキエにそんなそぶりを見せない。せめてものユキエへの思いやりのつもりだろうし、彼女の方でも、結婚に至った経緯を考えれば、彼が前妻を嫌って別れたわけではないと理解して覚悟しているつもりだった。ユキエにとっても、彼女はもともと憎むべき存在ではなかった。

 テツジさんと付き合ってたとき、
 家庭での愚痴を聞かされて、
 夫を悩ませる酷い嫁だとマナミさんのことを
 勝手に決め付けて、テツジさんに同情してたけど、
 一方だけの言い分を信じていた私がバカだったのね。

ユキエは一途に思い込む性格だったが、人情にも篤い。マナミの人となりがわかってくると、自らの過ちを潔く認め、この家で長年主婦業を務めてきた彼女に一目置くようになっていた。後戻りもできない今となっては、マナミ以上にここで頑張らなくてはと心に決めていたのだが、思いのほか難しいことも身に沁みてきた。

テツジは優しい。それを愛情と勘違いしていたことに気づくのがずっと怖かった。夜、アンズを寝かしつけてから、テツジの傍で眠る。ユキエが強く求めれば彼も応えてはくれる。だが、その愛撫はマナミを想ってのものではないかと疑っていた。拭いきれない疑惑がより一層彼女を孤独にさせていたのである。

「夕方にはお導きノ会に出かけてくるよ。」

片手にベビーカーをもう一方には切った枝を集めたゴミ袋を提げて、母屋の玄関の前まで来てからテツジが言った。宵の集いと称する、一種の願掛け行事が開かれる日なのである。

「二人目の子どもが授かるように願掛けしてくる。」

彼は笑顔でそう言うが、ユキエには妻の顔色を窺っているようにしか感じられなかった。本当に二人目を望んでいるのは夫のほうでなく、姑のほうなのだとわかっている。母親の言うなりなのだとユキエは思った。

折しもそこへシズカが帰宅した。

「あらまぁ、きれいに刈り取ってくれたのね。
 それにしてもちょっと枝を切り過ぎじゃないかしらねぇ。
 せっかく青々していたのに。」

バッグを抱えたまま、シズカは植木をしげしげと眺めて文句を言い始めた。姑はいちいち難癖をつけなければ気がすまないのだとわかっていながらも、人に頼んでおいてそんな言い草はないだろうにとユキエは腹を立てた。テツジがすかさず間をとりなすと、シズカは息子にこんなものを持たせるなんてと言わんばかりに、彼の手からゴミ袋を奪い、お導きノ会へはできるだけ早く行くようにとせかした。

「定時より1時間は早めに行かないと。
 私達は一番古い信者なんですからね、
 範を示さなきゃ、若い信者に嘗められてしまうわ。」

若い信者とはユキエのことも含めて言っているのだろう。シズカの嫌味たらしく、上からモノを言う支配的な姿勢は、ユキエにもだんだんわかってきた。

義妹が再婚してやっとタカノ家から出て行ったため、気を遣う頻度は減るかと思われたが、その分、シズカと接する時間は多くなり、やたらと説教を聞かされるのが鬱陶しい。黙って聞いているのも限界だった。義姉のサヨコは相変わらずやってきては夕飯を食べていく。マナミからタカノ家の味を教えてもらったのが幸いして、最近では料理に文句を言われなくなったが、姑と同じように居丈高で我儘なところは我慢がならなかった。

 あの人たちの言うことを
 まともに相手していたらくたびれるわよ。

以前、マナミからそうアドバイスされていた。ほんとうにその通りだ。世間話みたいな軽い話ですら呆れてしまうことがよくあった。例えば、流行の小説家の本が話題になったとき、

「ドラマにもなってベストセラーなんだそうですよ。」

とユキエが話に乗ると、シズカは、

「私は好きじゃないわ。」

と答えるので、もう読んだのかと思えば、

「だって、あの小説家の顔が好みじゃないのよ。
 魚類みたいな顔の人でしょう?」

と言うのを聞いて唖然としたのだ。魚類みたいな顔という表現に、サヨコは大笑いして同意していたが、ユキエは顔と小説の素晴らしさは関係ないと反論した。しかし、何をムキになっているのかと笑われるだけで、相手にもされない。実際、こんな低次元の考えの人と口論するのもバカらしいと聞き流さなければ、つくづくつきあっていられないと実感したものだった。

こういう細かな嫌悪が日常的に積もればノイローゼになりそうで、別居したいと願う気持ちは強くなった。が、テツジにそんなことを打ち明けたら、またマナミと較べられ、ユキエに堪え性がないと烙印を押されるのも癪だ。

「じゃあ、行ってくるよ。
 できるだけ早く帰るつもりだ。」

いつのまにか身支度をしていたテツジが物思いに耽るユキエに声をかけた。定時より1時間前に着く予定で彼は出かけるつもりなのだ。母親の言うことを素直にきく中年の男。会社で頼りがいのあった彼とは想像もつかなかった、彼の別の側面だとユキエは憂鬱な気分になった。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/04/28 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)