水色書架

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もの憂げな三日月 (69)

テツジと別れて一人の部屋に戻った後、マナミはしばらく茫然自失の態でへたり込んでいた。彼とはもうとっくに縁を切ったのだし、仕事を始めて新たな道を進んでいるマナミにとって、今夜の出来事はただ鬱陶しいだけのはずなのに、少なからず胸をざわめかせた。

 別れたくて離婚したわけじゃないですって?
 テツジが浮気なんかするからでしょ!
 私だって、離婚したいわけじゃなかったのに。
 タカノで一生懸命がんばってきたのに。
 バカ! 何もわかってない!

それにまだテツジはマナミに心を残しているとわかり、居場所を突き止めようとした彼の行動の粘着さにも穏やかではいられない。

 ユキエさんとうまくいってない?
 彼女と何かあったの?

 私との間には望めなかった可愛い赤ちゃんだっているのに、
 どうしてテツジは父親らしくできないのだろう。

あれほど離婚するまで苦悩し、ユキエにタカノ家の血を引く子どもができたことで自らは身を引くしかないのだと言い聞かせ、妻の座を彼女に譲ったというのに、テツジ自身がまだ前妻に未練が残っているのではどうしようもない。

 もし、私がさっさと再婚してしまえば、
 テツジも諦めをつけてくれるかしら。

だからといって軽々しく再婚するつもりもないが、彼につきまとわれて心を乱されるのは御免だ。

マナミはパソコンを開いて、”隠れ場所”にアクセスしてみた。ユキエの愚痴が更新されているはずだった。案の定ではあったが、ここ最近書かれている愚痴は、ユキエ自身に向けてのものになっていた。一生懸命、タカノ家に慣れようとしているのに無視されている気がする、ご近所づきあいも前妻のようにうまくできない、誰からも前妻と較べられているみたいだ、ここでやっていく自信がなくなってきた、だが子どもがいる、この子だけが救いだ。そんなことが綿々と綴られている。

 重荷になってきているんだわ。
 私という前妻の幻影が。

羽伸ばしにやってくるユキエからはそんな感情を出してきたことはない。誘えば喜んで来るくらいだから、マナミ本人に対して敵意を持っているわけではないのだろう。”隠れ場所”に感傷的に書き込むことでガス抜きをして、普段のユキエは現実ではがんばっているに違いない。

読み進めていくうちに、テツジのことも書かれていることに気づいた。優しいけど彼から愛情を感じないとあるのが気になった。頼めば子どもの面倒を見てくれるが、姑のシズカが、男に子育てを手伝わせるのを快く思わないため、テツジのほうでも進んで手伝ってはくれないというのだ。

不倫によってできた子どもだから、アンズをも軽んじているのだろうかと綴るユキエに、マナミは胸を痛めた。

また、頑なに拒んできたマナミと違って、ユキエは姑に気に入られようと天声お導きノ会にも入会している。だが、ユキエの”隠れ場所”での手記によると、新しい嫁を入信させたというシズカの面子が保たれただけに過ぎず、新参者の彼女にお導きノ会で奉仕するように指図するばかりだとあった。

 結局、嫁が誰であろうと、
 タカノ家の駒の一つという認識なのね。
 お義母さんの性格は相変わらずだわ。

嫁姑は一般的にも難しい関係だが、小姑も近くにいる上に宗教も絡んでタカノ家では面倒が多い。グリム童話の『怪鳥グライフ』に出てくる湖の渡し守の孤独を既にユキエも感じ始めているのだ。

パソコンを閉じて深い溜息をついた。結局、マナミは”湖の渡し守”から脱却して喜ぶより、タカノ家の心配をいつまでもしているのだ。トウコが言っていたように、縁を切った以上タカノ家のことなど放っておけばいいのに、ユキエの理解者であろうとしている。彼女の孤独に共感できるのは、マナミだけだ。

しかし、共感以上のことはできない。タカノ家に関わるわけにもいかない。とどのつまり、マナミのやっていることは、テツジがマナミに執着を残しているのと同じで、タカノ家にいつまでも固執しているだけではないかと思えて脱力した。

ラグカーペットに横になり、マナミは目を閉じた。疲れが一気に押し寄せて、眠気が襲う。時計の音が一定のリズムでやけに耳に響き、彼女に催眠を促していった。瞼の裏側に広がる暗闇の中で、シノダの影が浮かび、彼女に手招きしている。引き寄せられるように進んでいくと、後ろからテツジが現れて、彼女を引き止める。それを拒もうとしてもがくが、逃れられない。遠くにサトシの顔が見えた。からかうような皮肉な笑みを浮かべて、彼は、「僕は結婚はしません。」という声を残して消えた。そしてすべてが闇に隠れていった。



午後7時過ぎの病院に、トウコは場違いなほど華麗な足取りで、病棟の廊下を歩いていた。すれ違う患者が思わず振り向くほどだ。これでも彼女は化粧も服装も質素にしてきたつもりなのだが、生まれながらの美貌がどうしても人目を引くらしい。個室に辿り着くと、ドアをノックして中に入った。マヤマがベッドの上で上体を起こして座っている。

「お加減はいかが?」

「おかげさまで、少しずつ良くなってるようです。
 まだお粥ぐらいしか食べられませんが。」

マヤマの穏やかな笑みはバーにいるときと変わらないが、手術した後、絶食状態だったため、頬がこけてすっかり痩せてしまっていた。

「申し訳ありません。ミヤケ様。
 お忙しいでしょうに、
 私のような者のために・・・。」

「嫌だわ、水臭いこと言わないで。
 そりゃ、マヤマさんとはバーのマスターと客という関係だけど、
 私が20代の頃からのお付き合いなのよ。

 もう10年以上にもなるわねぇ。
 だから遠慮なんかしないで頂戴。」

すまながるマヤマにさばさばした口調でトウコが言い放った。ベッドの柵のところには、マヤマの氏名と年齢の書かれた札が貼られていた。

「52歳だったのよね、マヤマさん。」

「もっと老けて見えますか。」

「そうね。
 ああ、でも、容姿が老けているわけじゃないわよ。
 静かに達観しているようなあなたの姿勢が、
 50歳代前半とは感じさせなかったという意味でね。」

バーにいるときよりは口数が少ないのは、やはりまだ体が復調していないせいだろうかとトウコは考えた。マナミからマヤマが血を吐いて倒れたと知らされたときは、トウコは心臓が躍り上がって息が止まりそうだった。すぐにも駆けつけたかったがパンフレットの撮影の仕事で東欧の片田舎にいたため、どうすることもできなかったのだ。

帰国してすぐ荷物を預け、まっすぐ病院に向った。マヤマの顔を見るまでは落ち着かなかった。想像していたよりはましだったが、それでも蒼白い血の気が失せたような彼の表情に胸がしめつけられる思いだった。

「仕事のほうはいいんですか。
 ミヤケ様は、いつも夜遅くまで
 忙しくされておられたはずですが。」

面会時間は午後8時までだが、たとえ半時間程度でもほぼ毎日トウコはマヤマの病室に顔を出している。それを気遣って彼は尋ねているのだ。

「要領よくやっているわ。

 それにしても、ここにお酒がないのだけが残念ね。
 マヤマさんを独占して語り明かしたいのに。」

茶目っ気たっぷりにトウコがベッドの傍で答えた。

携えてきた紙袋から着替えのための新しい肌着やタオルを取り出し始めた。それから、Da Mayamaではマスターの留守を若いバーテンダーが一生懸命守って営業している話も伝えると、必要な物を調達して、店にも顔を出して様子を見てくれているトウコにマヤマは感謝した。

「私はね、あのお店をずっと続けていて欲しいの。
 たぶん、自宅よりも実家よりも、仕事場よりも、
 私が私らしくいられる唯一の場所なんだもの。

 だから早く元気になって戻ってきてもらわないとね。」

トウコは肌着を棚に収めながら、そう言った。マヤマは彼女が親友のマナミのことをお人好しだと言っていたが、彼女のほうも負けないくらい世話焼きだと心の内で笑った。

面会時間のギリギリまで病室にいたトウコは、帰り際に、また来ると約束したが、

「いえ、私のことは大丈夫ですから、
 ご自分のお時間を大切にしてください。」

と、マヤマが慌てて言った。彼自身もトウコが見舞いにやってきてくれるのは嬉しい反面、仕事をやりくりしてまで日参してもらうのが気の毒に思ったからだ。トウコは病室の扉を開けたまま振り返り、マヤマと目を合わせると、

「当面、退屈しているの。
 例の彼とは別れたから。
 やっぱり不倫なんて、くだらないわね。」

と、最後に苦笑いを口許に浮かべて、さよなら代わりに手を振り、病室を出た。

廊下ですれ違う看護士に会釈をしてエレベーターに乗ると、今夜この病院に来る前に、偶然、ニシノの娘ワカナに出会ったのを思い出していた。着こなしは上手いが女らしさを全面に出している服装で、男連れだった。男はトウコの目から見ればホスト崩れのような優男で、軽薄な印象を受けた。およそ気の強いワカナが本気で相手にしているとは思えない。

ワカナは連れの男をその場で待たせてトウコに近づいてきた。そしてジロジロとトウコの唇を凝視した。

「ふうん。
 口紅の種類を変えたのね。
 ゴールドの入ったグロスもやめたの?」

挑戦的な目つきをして言うと、その意味をわかっていながら何も知らないふりをしてトウコが、

「さすがにお嬢様はよく観察なさってらっしゃること。」

と返した。ワカナは眉をぴくりと動かし、顎をしゃくって生意気そうな顔つきをした。

「この前、おかしなものを見つけたのよ。
 パパのマンションでね。
 ゴミ箱に突っ込まれていたパパのワイシャツの裏に、
 口紅がべっとりついてたわ。
 そう、ちょうどミヤケさんが使ってた口紅と同じ色のね。
 どういうことかしらね。」

「さぁ、私にはわかりませんわ。
 お父さまにお尋ねになったらいかがかしら。
 それに、私が使っていた口紅は、
 どこの百貨店でも手に入るものです。」

はぐらかされるのを承知していたようにワカナは、ふんと鼻を鳴らして笑った。

「ほんとにあなたって、食えない人ね。」

「尾行されるのならどうぞ。
 構いませんことよ。」

堂々と正面を向いて答えるトウコをまだ凝視し続けながら、

「やましいことはないって言うのね。」

と苦々しそうにした。それから、聞こえるか聞こえないかの小声で、

「もうパパとは別れたというわけか。
 口紅を変えた理由もそうなのね。」

と呟き、ならば用はないとばかりに踵を返して、トウコに挨拶もせずさっさと待たせている男のもとへ戻っていき、やがて人混みの中に消えていった。それを見守っていたトウコは、

 あの子は昔の私に似てるわ。
 傷ついているのに、傷なんかつかないふりをしてた、
 昔の私に。

と考えていた。トウコの亡くなった父親も母親に黙って愛人を囲っていた。その事実を知ったとき、取り乱す母親と正反対にトウコは冷静でいようとした。こんなことくらいで傷ついてたまるものかと、父を父ではなくただの男だと認識を変えることで、強くあろうとした。それがワカナの姿と重なるのだった。

ニシノと別れてから社内で顔を合わせることがあっても、バツが悪そうにするでもなく、無視するでもなく、これまでどおり二人とも常務と社員という姿勢は崩さない。互いの領域を侵さないのが大人のつきあいというものだ。ただ虚しさだけが付きまとう。

エレベーターを降り、病院を後にして夜空を見上げると、うっすらと雲のかかった三日月がおぼろげな光をトウコに投げかけていた。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/04/23 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)