水色書架

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もの憂げな三日月 (66)

サトシとマナミはバーDa Mayamaのカウンター席に腰を落ち着けていた。マナミはいつものカンパリソーダを、サトシもテキーラトニックを注文した。バーテンダーのマヤマもいつものように穏やかな笑みを浮かべて客と応対している。ここに来ると懐かしい我が家に帰ってきたようで安心する。それはサトシも同じらしい。

しかし、なぜ今夜ここに今、二人でこうして座っているのか、成り行きとはいえ、奇妙な感覚だった。つい1時間ほど前は、サトシとアヤが住むマンションで、クリハラとの交際について緊張した言い合いをしていたというのに。

「俺はここを出る。
 だから、おまえたち二人、
 ここに住めばいい。」

いきなりそう告げたサトシの言葉の意外さに、あの場にいた3人はすぐには彼の真意が飲み込めなかった。不安そうにアヤが兄に近づいて、どういう意味なのかを問うまでは、サトシが匙を投げて家を出てしまうのではないかと思ったのだが、彼は淡々と妹に答えた。

「このマンションの部屋はアヤの名義にしてある。
 俺は伯父のところに戻ることになっていたからな。
 その時が来たんだよ。

 家を買いたいというクリハラの夢はともかく、
 当座は二人でここに住んで、
 もうちょっとマシな、現実的な生活設計を考えるんだな。」

「お兄ちゃん、それは、・・・
 あたしがクリハラさんと結婚してもいいってこと?」

高鳴る胸を押さえながらアヤが訊いた。

「そうしたいんだろ?
 俺に言わせるなよ。」

苦々しそうにサトシは妹から顔を背けて、素っ気無く呟いた。それから、簿記の勉強を続けることを約束させた後、今度は立ち上がってクリハラに近づいていき、妹を頼むと頭を下げた。不幸にしたら承知しないと強気で言われることを覚悟していたクリハラは拍子抜けして、おたおたと怯みつつも、サトシより深々と頭を下げ、

「アヤちゃんに苦労させないように、
 二人でがんばっていきます。」

と、声を張り上げて誓った。アヤが兄に近づこうとすると、サトシはクリハラの肩をぽんと叩くなり踵を返してさっき脱ぎ捨てた背広を手に、今度はマナミのほうへやってきた。そして、

「先生、ちょっとつきあってもらいますよ。
 僕に内緒にしてた罰です。」

と、妹を見返ることもなく、強引にマナミの腕を引っ張った。驚くマナミだったが、小声でDa Mayamaへと付け加えたのが聞こえたため、素早く身支度をするとアヤとクリハラに別れを告げ、サトシとともにその部屋を出た。大通りからタクシーを拾い、目的のバーに向っている間中、サトシは黙ったまま前を向いていた。マナミには彼の心境を推し測ることができる。いわば、アヤの兄というより、娘を嫁にやる父親のそれと同じなのだろう。

そんなわけで今、二人はバーに辿り着き、マヤマの温かいもてなしを受けているのである。とはいえ、サトシは自分が無理に連れてきたマナミのことを忘れてでもいるかのように、彼一人の世界に没頭している。何か話しかけたほうがいいのか迷った挙句、マナミも黙っているのに付き合おうと決めた。

マスターのマヤマは、二人一緒に店にやってきたことも黙りっぱなしでいることも、奇妙だと当然気づいていたろうが、好きなように過ごさせていたし、無闇に愛想を振りまいて話しかけることもなかった。こういう阿吽の空気感が、客を安心させているに違いない。

「単純な味付けだったんですね。」

不意にサトシが口を開いた。

「でも、ただ甘いだけじゃなかったのに、
 ずっと甘いウィンナーだと信じてました。」

「イケザキさんの子どもの頃の記憶の味なんでしょう?
 甘味は記憶に一番残りやすいんです。
 甘さは幸福感をもたらしてくれますしね。」

何事もなかったように自然に会話が始まったが、サトシの頭の中ではどんな思いが交錯しているのだろうとマナミは考えていた。

「あの味付けのウィンナーは、
 イケザキさんのお母さまの味なんですね。」

「ええ、まぁそうです。
 正確に言えば、アヤの母親の味ですが。」

「じゃあ、イケザキさんとアヤちゃんは・・・。」

その先を口ごもったマナミに、サトシは悪戯っぽい目つきをして、

「さて、どうするかな。
 あなたには正直に話しましょうか。

 そうです。アヤとは異母兄妹で、アヤの母親は父の後妻です。
 実の母親は、僕が5歳のときに父から逃げました。
 貧乏暮らしと借金に嫌気がさしてね。
 僕を捨てたんです。」

と答えた。そしてテキーラトニックを少し口に含み、グラスの中の大きな氷の塊が照明によって煌くのをじっと見つめ、

「つまらない過去の話を聞かせますが
 ここを出たら、忘れてください。」

と言い添え、落ち着いた様子で語り始めた。

実の母親が他の男のもとに逃げ、父と貧乏のどん底で暮らしてきたサトシが小学2年生になったとき、父がお腹の大きい後妻を連れてきた。アヤを身ごもっていたのだ。幼いサトシは新しい母親を認めたくなかった。実の母親のようにどうせまた逃げていくのだろうと考えていたからだ。

父の自堕落な性格は幼い彼にも耐え難いものがあった。暴力をふるうことはないし、父なりに息子を大事に思ってきたらしいが、仕事が長続きしない飽きっぽいところや、ギャンブルの誘いに乗り易く自分に甘いところが、息子にまで迷惑をかけているというのに、父は少しも懲りないのだ。誰が妻になったところで務まるはずがないと子供心に感じていた。

だが、アヤの母親は情に篤い人で、肝も据わっていたようだった。父の軽はずみな行動をたしなめ、仕事ぶりを励まし、以前よりは父も真面目になってきたのはこの女性のおかげだった。アヤが生まれてからは、生来が子ども好きの父は目尻を下げて可愛がった。

サトシが父に引き取られているのだって、実の母が父の子煩悩を知っていて任せたためだったのかもしれない。そう考えれば、邪魔者扱いで置き去りにされたような暗い気持ちにさせられなくてすむだけ救いがあった。

アヤの母親はサトシを邪険にすることなく、実の子同様に接していた。彼女は、サトシさんと呼んで、何くれとなく世話をしてくれていたが、サトシは、継母を母さんと呼びたくなくて、いつも家の中の隅っこで過ごしていた。それはおそらく、子どもっぽい意地だったと彼は回想してマナミに話した。甘えるきっかけを失っていたのだと。

よく笑い、よく泣く、無邪気なアヤは、誰からも好かれたが、年の離れた兄を最も慕っていた。いつもサトシの後を追いかけるような子どもだった。無愛想ながら自然とサトシも妹に情が湧くようになっていた。それでもサトシは継母には心を開くことができなかった。

あるとき、学校の遠足に弁当を持っていくのを内緒にしていると、当日の朝、どうやって知ったのか、アヤの母親は弁当を作って持たせてくれた。弁当箱を開けると、海苔を巻いた握り飯と、ゆで卵、キャベツの炒め物、そして例の甘いウィンナーが入っていた。不覚にも涙が零れ落ちた。誰にも顔を見られるまいと懸命になって弁当を食べた。

「そのときのウィンナーの味が甘かったんですね?」

マナミも彼の回想話に胸を打たれて感に堪えたように相槌を入れた。

「ええ。正直、あんな美味いものはないと思いましたね。
 日ごろ、ろくな食べ物がうちにはなかったのに、
 あの人は僕の弁当には少しでも恥ずかしくないものを
 入れてくれようとしたんでしょう。」

サトシは、アヤの母親のことを”あの人”と呼んだ。まだ母とは認められないのか、あるいは照れているのかどちらだろうとマナミは心の中で思った。

「実際、僕はいじめられっ子でした。
 『臭うぞ、傍に寄るな!』と言われてね。
 まぁ、一人でいるほうが気楽でよかった。
 村八分になってても平気でしたけどね。」

ふふんと鼻を鳴らして笑い飛ばした後、サトシは続けた。

中学に入ってから、突然、父の兄にあたる人物がサトシの前に現れた。興信所を使って素行や学校での成績を調べ上げ、独身で会社社長の伯父は彼を跡継ぎにしたいと申し出てきたのである。サトシには野心があった。貧乏のせいでバカにされるまい、いつか自分をバカにした奴らを見返してやると、学業はがんばってきたのだ。だが、普通の高校にはどうにか行けても、到底、大学まで行ける家庭環境ではない。父は相変わらず借金を繰り返していたし、妹もこの先、進学するたびに金がかかるのを考えると、伯父の申し出を受けることに何の躊躇いもなかった。

伯父に勧められるまま私学の進学校の入試に合格した時点で、サトシは伯父に引き取られることになった。両親もアヤもそれを引き止めようとしたのが彼の目には滑稽に映った。彼一人の食い扶持がなくなる分、もう少しマシな暮らしができるだろうにと、当時のサトシは考えたのだ。

伯父はサトシを手許に引き取る代わりに、父には金を渡した。偏屈な伯父は、頭を下げて頼むより、札束で父を納得させたのである。その後、大学を卒業するまで、父親とはほぼ絶縁状態になっていた。

「では、アヤちゃんともずっと会ってなかったんですか?」

マナミが驚いて尋ねた。サトシは無論そうだと答えた。

「アヤと久しぶりに会ったのは、
 父が心臓を悪くして入院したときでした。」

中学生だったアヤは、彼の記憶にある幼いときとは見違えて、すぐには妹だと気づかなかった。アヤは兄にやっと会えた喜びよりも恥ずかしさを露わにしていた。金の無心に来たからだ。父に手術や入院の費用など払えるはずがない。アヤの母親がパートをしていたが、生活を切り盛りするのがやっとだった。

サトシは高校生のときから伯父との約束で、伯父の会社の下請けでアルバイトをしていた。学費は全て伯父が払ってくれていたため、その頃からの貯金もある。父の相変わらずの生活ぶりに憤慨しながらも、アヤに金を持たせてやった。それ以来、ときどきアヤは彼女なりに気を遣って、手作りクッキーや修学旅行の土産を手渡しに、兄に会いに来るようになった。

あの大事故が起きたのは、アヤが21歳になる手前のことだった。

「どういう心境の変化だったのか、
 あるいは今までの罪滅ぼしの意味だったのか、
 父が急に家族旅行を思いついたんだそうです。

 レンタカーを借りて、2泊3日の旅行。
 僕にもアヤから誘いがありましたが、
 いまさら家族旅行に僕が顔を出すのもおかしいでしょう。
 断ったんです。

 あのとき一緒に行けばよかった。
 僕が運転すればよかった。」

事故の話をするときのサトシは、それまでの冷静さを欠いて、興奮を抑えているのか息が少し荒くなってきていた。

「山を越えて下る途中、急なカーブを曲がりきれず・・・。」

辛そうに話すサトシに、マナミはどう慰めればいいのかわからなかった。サトシのせいではないとおざなりな言葉しか浮かばなかった。しかし、彼は意外なことを口走った。

「あれは、僕は今でも、単なる事故と思ってません。
 父は無理心中するつもりだったんじゃないか・・・と。」



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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/04/08 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)