水色書架

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もの憂げな三日月 (65)

アヤと約束した日に、マナミは兄妹二人で住んでいるマンションの一室を訪れた。扉を開けてくれたアヤの表情にはいつもの明るさがなく、どこか暗い陰を落としていて、思わず体調を尋ねたほどだったが、元気だと答えるだけで、無理して笑顔になろうとしているのが痛々しくさえあった。

玄関にあった男物の靴を見て、すでにマナミはそれがアヤの兄のものではないことに気づいていた。案の定、奥に畏まって座っていたのは、以前、このマンションの前で声をかけてきたクリハラだった。

マナミを座らせ、お茶を淹れて差し出した後、アヤはクリハラと再会してからこれまでのことを報告した。彼がどういう思いを抱いてアヤの前から一旦は姿を消し、また現れたのか、そして、プロポーズされたもののすぐに兄サトシに話せなかった理由も打ち明けた。

「兄はこんな私をずっと励まし、見守ってくれてたのに、
 なんだか申し訳ないような気がして。」

アヤはうつむきがちに言ったが、なぜプロポーズを受け入れることにそんなに躊躇うのかマナミにはわからなかった。

「お兄様はアヤちゃんの幸せを願っているはずよ。
 申し訳ないなんてことはないんじゃないかしら。」

マナミが言うと、アヤとクリハラは顔を見合わせた後、再びアヤが口を開いた。

「実は、思い切って、兄に打ち明けてみたんです。
 でも、クリハラさんの名前を聞いただけで、
 『おまえを見捨てた奴のことか』って言うなり、
 兄は不機嫌になりました。

 今マナミ先生にお話したのと同じことを話したんですけど、
 『アヤがどう思おうと、
  俺はあいつを許すわけにはいかない。』
 と一言だけで、とりつくしまもなくて、
 クリハラさんに会ってもくれないんです。」

肩を落として打ち明ける彼女にクリハラが寄り添うと、

「僕が悪いんです。
 アヤちゃんに何も言わず、行方をくらましていた僕を
 お兄さんが腹を立てていても当然です。」

と、真剣な顔つきになった。

「アヤちゃんから、お兄さんのことは聞きました。
 お兄さんがアヤちゃんをどんなに大切に守ってきたか、
 僕はお兄さんの足元にも及ばない。
 自分が浅はかだったと改めて気づきました。」

それから今度はアヤのほうに向くと、

「だけど、俺の決意は変わらない。
 アヤちゃんといつか結婚したい。
 お兄さんに認めてもらえるように
 俺、がんばるよ。」

と宣言した。しかしアヤは、あの頑固な兄が認めてくれる日が来るだろうかと疑問だったし、兄に反対されてまで結婚に踏み切れないと考えていた。サトシが妹に献身的に、身も心も立ち直らせようとしてきたさまを聞いてきているマナミには、アヤが迷うのも無理はないと思った。

「マナミ先生に相談したら、
 客観的に答えていただけるかと思って。」

そうアヤに言われても、マナミの立場はあまりに他人でありすぎる。この兄と妹の強い絆に入り込めないでいるのは、クリハラだけでなく、マナミも同じだ。難解な質問にどう答えようかと悩んだ末、並んでいる若い二人を見て考えながら言った。

「私は・・・、私だったら、
 アヤちゃんの未来のほうを優先したいわ。

 ううん、違う、どっちかを選ぶということじゃなくて、
 誰もが幸せになるべきだと思うの。
 アヤちゃんも、クリハラさんも、お兄さんもね。
 
 それにしても、イケザキさんを
 どうしたら説得できるかしら。」

マナミの持参してきた差し入れのケーキとお茶を目の前に三人が顔を突き合わせて相談しているときに、珍しくサトシが早い時間に帰宅した。アヤが恐る恐る玄関に迎えに出ると、サトシは玄関に並んでいる靴を見て、

「来てるのか、あいつが。」

と、妹に凄むように低い声で唸った。

「クリハラさんが、会って話したいって。」

アヤは兄の顔を窺いながら言葉少なに伝えた。

「俺は会いたくないんだがな。」

妹を玄関に残し、足早に中に入った。クリハラが立ち上がって、サトシにご無沙汰していた非礼を詫びて頭を下げた。サトシはぷいっと顔を背けると、その先にマナミがいたことに不意を衝かれて、

「なぜ、あなたがここに。
 見慣れない女物の靴はあなたのものでしたか。」

と、彼に向って会釈をする彼女とクリハラを交互に見た。アヤが慌てて、

「マナミ先生が最初に
 このマンションの前で佇んでいたクリハラさんと出会って、
 あたしに連絡してくれたの。
 それで、・・・。」

と言いかけると、サトシはマナミに、

「知ってらしたんですか。
 どうして僕に真っ先に教えてくれなかったんです?」

と、鼻息を荒くして言った。大きな声ではなかったが、重みのある声に一瞬マナミは体をびくつかせた。

「それでアヤに頼まれて、加勢をしにきたんですか?」

鋭い目つきで嘲るような言い方をしたサトシにむっとして、

「加勢に来たんじゃありません。
 あなたが二人の結婚に反対なさってるのは、
 たった今聞いたところなんですもの。
 でも、そう仰るなら、私はアヤちゃんの味方になりますわ。」

と、負けずに言い返した。アヤは傍でおろおろし、クリハラも、

「待ってください。
 僕がお兄さんに直接話さなきゃいけないんです。
 この人は関係ありません。」

と、マナミを庇って前に進み出た。

「話すことは何もない。
 俺にとって、君はもう過去の人物だ。

 アヤが病院のベッドで生きる屍みたいになってたとき、
 君は一体どこにいたんだ?
 どこへ逃げてた?

 今頃のこのこ現れて結婚してくれだと?
 何が目的なんだ?」

サトシは背広を脱ぎ、ネクタイをはずしながら、クリハラと目も合わせないまま怒涛のように問いかけた。クリハラはその一つ一つに答えていった。謝罪もした。アヤへの想いも語った。そのたびに、サトシは小馬鹿にして鼻を鳴らしている。

「妹は歩けるようになったとはいえ、
 まだこんな不自由な歩き方だ。
 他の、健康な女性を嫁にしたほうがいいんじゃないか。」

サトシのこの言葉にはマナミも憤りを覚えた。クリハラを見ると、顔を真っ赤にして興奮気味だ。いつもなら兄に何を言われようとも切り返すアヤが涙ぐんでいる。

「ひどいわ、イケザキさん。
 それがあなたの本心からの言葉とは思えません。」

と、マナミが意気込んで言えば、クリハラも、

「僕はこのままのアヤちゃんが好きです。
 生きていてくれてよかったと心から思えたからこそ、
 真剣に将来を考え、働いて、家を買うつもりで、
 お金も貯めています。
 小さな家でも、アヤちゃんが暮らしやすい家を・・・。」

と、真剣に訴えた。

「ふん。家・・・か。
 甘っちょろいな。
 あんたの稼ぎで、いつになったら家が買えるって言うんだ。
 ローンを組んで返せるまでに何十年かかるか。
 俺くらい稼げるようになってから宣言するんだな。
 俺は、こんな妹でも安売りはしない。」

サトシは強く言い捨てると、初めてクリハラの目をしっかりと見据えて、両者は火花を散らしていた。

貶されても怒りを抑えて説得を試みるクリハラと、まともに話を聞こうともせず蔑んだ物言いしかしないサトシとをしばらく見守っていたマナミは、首を傾げた。口が悪いとはいうものの、サトシが人間的に冷たいわけではないはずだ。何か思惑があるように感じる。

「もうやめてよ、お兄ちゃん。
 家なんか、あたしはどっちでもいいの。
 それに、あたしだって働くわ。
 細々とでも暮らしていければ充分なの。」

見かねてアヤが兄に叫んだ。だが、サトシは、

「細々と?
 おまえは貧乏がどんなに惨めな暮らしか
 知らないわけじゃないだろ?

 俺達がどんな環境で育ったか、
 忘れてないはずだ。」

と、妹にまで吠えた。アヤは赤面して一度は言葉を詰まらせたが、

「でも、あたしは、お父ちゃんとお母ちゃんが好きだった。
 お父ちゃんはいつも借金ばかりしてて、
 そりゃ、褒められた父親じゃなかったかもしれないけど、
 あたしを可愛がってくれてたのは覚えてるもん。
 
 親を亡くして、お兄ちゃんと一緒に暮らしてきて、
 やっぱり家庭が欲しいと思ってる。
 お兄ちゃんは、あたしの足がこんなじゃ心配かもしれないけど、
 家族が欲しい。」

と、切実な願いを口にした。目を見開くだけでサトシは今度ばかりは何も言い返せなかった。長い沈黙が訪れた。そこにいる誰もが声一つ立てず、身動きすらしなかった。

ふとマナミは思いついて、バッグの中から布に包まれた二段重ねの重箱を出し、テーブルの上で拡げ始めた。

「何です、それは?」

サトシが尋ねると、マナミは、

「イケザキさんの宿題の答えを用意してきたんです。
 答え合わせをして頂けませんか?」

と、重箱の蓋を開けた。狐につままれたような顔をしたアヤも覗き込んだ。ウィンナーソーセージらしきものがたくさん入っているが、他には青野菜や玉子焼き、牛肉にインゲンと人参を巻いた八幡巻き、キンピラゴボウやひじきの煮つけ、俵型に握られたおにぎりなどが彩りよく詰め合わされている。

「甘いウィンナーって何だろうと
 私なりに考えて、作ってみたんです。」

サトシは急に困惑して弱った表情をし頭を掻いたが、マナミに箸を勧められ、仕方なく重箱の中に入っている斜め切りにされたウィンナーをつまんで食べた。

「甘い・・・ウィンナー?」

アヤも何か思う事があるらしく、兄から箸を奪って同じようにつまんで食べた。そしてマナミに驚いた顔をしてみせた。

「これ、お母ちゃんの味付けと同じだわ。」

サトシも黙ったままマナミを見た。

「正解だったのかしら。」

はにかんでマナミが謎解きをした。

「難しい味付けではないの。
 いくら甘いといったって、
 ウィンナーに砂糖漬けなんてありえないし、
 砂糖醤油で軽く炒めてみたの。
 味醂よりは甘味がはっきりするでしょう?

 ウィンナーは、肉の味があまりしないと仰ってたから、
 魚肉ソーセージが頭に浮かんで試してみたのよ。」

「砂糖とお醤油の味付けだったのか~。
 遠足のときのお弁当に、
 お母ちゃんが作って入れてくれたのと同じだわ。」

アヤはもう一つつまんで口に入れ、懐かしんでいたが、サトシは額に皺を寄せ、渋い表情をして、

「安い魚肉ソーセージに、砂糖と醤油だけの味か。
 いかにも貧しいおかずだったな。」

と、自嘲気味に呟いた。それからクリハラに向って、

「君も食えよ。
 これが俺達の思い出の味なんだ。」

と、重箱を勧め、

「もっともウィンナー以外のおかずは贅沢だがな。」

と付け加えるのを忘れなかった。マナミは恐縮して否定したが、アヤは先生の手作りお弁当に感激し、すぐに食器棚から小皿と割り箸を出して、クリハラにも手渡した。兄の吠え声がなくなった分、平和な時間を取り戻したようだ。

サトシはその場を離れ、奥に引っ込むと壁際に座り込んだ。横の本棚には、アヤと両親3人の写真立てがある。横目で一瞥し、それから背を丸めて立てた片膝に彼の額を押し付けた。

食卓でアヤとクリハラが睦まじく重箱をつついている。しばらくサトシの様子を窺っていたマナミは取り皿にいくつかおかずとおにぎりを取り入れ、彼のところへ持って行って気遣わしげに声をかけた。

「サトシさん、お腹空いたでしょう?
 これ食べて。」

マナミの声かけに被さるように、亡きアヤの母親の声が頭の中に蘇ってきた気がしたサトシは、思わず顔を上げた。反射的に受け取った取り皿をじっと眺め、マナミにではなく、アヤとクリハラのほうに向って、静かに言った。

「俺はここを出る。
 だから、おまえたち二人、
 ここに住めばいい。」



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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/04/03 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)